三好康児、柴崎岳、武藤嘉紀、中島翔哉……。己の成長、その先にある目標を目指して挑戦し続けるフットボーラーたちに独占インタビュー。さらなる飛躍を誰もが期待してしまう彼らの思考に迫る。まずは、U17、U19、東京五輪、各年代別の日本代表に選出された天才レフティー。三好康児1回目。
海外リーグでの3シーズンを終えて
濃密な時間ほど、過ぎゆくのは早い。
J1王者の川崎フロンターレの下部組織出身で、「アカデミーの最高傑作」と謳われた三好康児も25歳を迎えた。フロンターレのトップチームから北海道コンサドーレ札幌、横浜F・マリノスへの期限付き移籍を経て、ベルギーのロイヤル・アントワープFCに加入したのは、2019年夏だったから、3年前のことだ。
「あっという間というか、気づけばもう3シーズンも経ってしまった、というのが正直な感覚です。1年目から毎シーズン、勝負のつもりでやってきましたけど、まさに今、分岐点を迎えている。ここからもうひとつ上のレベルで戦っていけるのか、ここから難しいサッカー人生を歩むことになるのか、大事な時期だなと感じています」
分岐点を迎えている――。
その言葉に、過去3シーズンの苦戦ぶりが滲んでいた。
14試合1得点、18試合2得点、25試合1得点。これがベルギーで三好の残してきた成績だ。いずれのシーズンも負傷や新型コロナウイルス感染などのアクシンデントに見舞われ、戦線からの離脱を余儀なくされてきた。
なかでも心残りなのが、3年目の21-22シーズンである。夏に東京オリンピックに出場したためチームへの合流が遅れたが、合流して間もない頃に行われたヨーロッパリーグ・プレーオフのオモニア戦で2試合連続ゴールをマークし、これ以上にないスタートを切った。
このシーズンから指揮を執るブライアン・プリスケ監督は選手とのコミュニケーションを大事にするタイプで、三好も指揮官からの信頼を感じていた。
ところが、10月半ばに肉離れを起こすと、復帰後にも同じ箇所を傷めてしまう。結果、トータルで3ヵ月ほどピッチから離れることになった。長期離脱から戻ってきた選手のチーム内での立ち位置が、負傷前と同じ場所に見出せるほど、欧州のサッカーシーンは甘くない。
異国で戦う難しさのひとつは、まさにそうした緊急時にあるという。
「日本だと、ケガの治療の進め方について、ドクターやトレーナーと話し合って納得できるんです。でも、ヨーロッパだとアプローチの仕方も違うし、ベルギーだと治療体制もそこまで整っていないので、治療方針に不満を感じることもあって。それをぶつけるのか、ぶつけないのかのせめぎ合いもあるし、そもそもニュアンスを伝え切れないストレスもある。だから、ヨーロッパに住む日本人トレーナーの方を自分で探したりもした。そういうときは苦しさを感じます」
もちろん、ステップアップと生き残りを懸けた日々の競争も、日本とは比べものにならないほどシビアなものだ。
ベルギーリーグは欧州5大リーグ(イングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランス)より下の位置付けで、多くのスカウトが即戦力の有望株を見つけるべく、ダイヤの原石発掘のために、目を光らせている。活躍した選手は上のクラブに引き抜かれ、活躍できなかった選手は放出され、また新たな選手がベルギーにやって来る。それはアントワープに限らず、ベルギーリーグのクラブでは日常の光景だ。
「アントワープは毎年のように監督が代わりますし、シーズン途中で解任されたこともあります。毎年、選手の半分以上が入れ替わり、新チームのような状況で自分をアピールしなければならないのは正直、すごく難しい」
しかし、だからこそやり甲斐があると三好は言う。
周りが変わったとしても、自分を変える必要はない
「難しいし、厳しいですけど、それが楽しさの裏返しというか。そうした厳しさを求めて、ここに来たところもありますから」
三好の所属するアントワープは、リーグ優勝4回、カップ戦優勝2回の実績を誇る古豪である。1990年代後半からは資金難で苦しんだものの、近年は優勝争いに絡むまでに復調し、サポーターの熱狂ぶりはベルギー屈指として知られている。
それゆえ、サポーターやスポンサーからの圧力も強い。それは、三好にとっては日本で感じたことのないプレッシャーだ。
「特に昨シーズンは選手もたくさん獲ってきて、期待の1年だったのに、なかなか優勝争いに踏み込めなかった。それでチームは常にプレッシャーを掛けられていて。新聞に『次の試合で負ければ監督解任』とか書かれたりして、サッカー以外のことでザワザワしている時期もあった。ヨーロッパの人ってみんな自己主張が強くて、好き勝手なことを言うので、自分をちゃんと持たないと気持ちがブレて、プレーに悪影響が出てしまうんです」
監督が代われば戦術も変わるし、好みの選手のタイプも変わるのは当然である。本当に監督は交代するのか、次に来る監督はどんなタイプか、それによって自分の立場はどうなっていくのだろうか……。
実際に三好がプレーした3シーズン、アントワープでは4人の監督が指揮を執った。2年目の2020-21シーズンの途中にイヴァン・レコからフランキー・ベルコーテレンに監督が代わると、出番をすっかり失うという経験もした。
「そういう不安には常に晒されています。ただ、周りが変わったとしても、自分を変える必要はないと思っていて。もちろん、監督が代われば新しい戦術にアジャストしたり、自分をアピールする必要はありますけど、自分がやってきたことをコツコツ表現することに変わりはない」
そのスタンスこそ、三好の個性であり、長所である。
「周りは感情のアップダウンが激しい選手、文句を言い散らす選手が多いんですけど(苦笑)、そこに左右されずに淡々と。僕自身も感情の起伏はありますが、気持ちは高まっていても、頭は冷静にして、一定のパフォーマンスを出し続ける。その基準をもっと高くしていくことが今のテーマです。自分の基準をブレさせないことに関しては、この3年間しっかりやれていると思います」
タイプも戦術も異なる4人の監督のもとでプレーし、選手として成長した部分も認識できている。かつては右サイドやトップ下で攻撃の違いを生み出すアタッカーという色が濃かったが、プレーの幅が明らかに広がったのだ。
「右のウイングバックをやったこともあれば、FW的なポジションでプレーすることもあった。どんなポジションでも自分らしさを出せるようになってきたし、プレーの強度も高まっている。攻撃の部分で違いをつくるのが自分の強みですけど、それがうまくいかないときに少し守備から入ってみるとか、そういうこともできるようになってきました。この3年間が確実に自分の力になっている」
技術や戦術理解度の高さを評価されながら、たびたびの負傷もあって絶対的な存在になり切れないまま、3シーズンを終えた。
だが、やれるという自信は間違いなくある。だからこそ、4年目の22-23シーズンは三好自身が言うとおり、「分岐点」であり、勝負の年なのだ。