先行きが見えない日々のなかでアスリートはどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「コロナ禍のアスリート」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。過去のアスリート連載はこちら。
日本勢として初の表彰台
ハンガリー・ブダペストで開催された水泳の世界選手権「世界水泳ブダペスト2022」は7月3日に閉幕した。日本競泳陣は2017年ブダペスト大会以来2大会ぶりに金メダルなし。メダル総数4(銀2、銅2)は、21世紀に入ってからは’01年福岡大会(銅4)、’09年ローマ大会(金1、銀2、銅1)、’15年カザン大会(金3、銀1)に並ぶ最少タイとなった。
競泳ニッポンが厳しい戦いを強いられたなか、歴史を動かした男子がいる。男子100mバタフライに出場した水沼尚輝(25歳・新潟医療福祉大職員)が銀メダルを獲得。高いスプリント能力が求められ、日本人には不向きとされてきた種目で、日本勢として五輪、世界選手権を通じて初めて表彰台に立った。決勝のゴール直後は、どや顔でサムアップ。「メイクヒストリーできた。感慨深い」と男泣きした。
3月に13年ぶりに日本記録を樹立し、今大会の準決勝で自己ベストをさらに0秒05更新。決勝も自身の日本記録に0秒13に迫る50秒94の好タイムで泳いだ。折り返しは最後尾だったが、持ち味の後半に強さを発揮。豪快なストロークで6人を抜き去った。世界記録保持者のドレセル(米国)が棄権するなか、優勝したミラク(ハンガリー)とは0秒80差。3位のエドワーズ(カナダ)とは0秒03差の僅差だった。
少年時代は縄跳びで二重跳びができず、野球ではキャッチボールもままならなかった。小学2年時に1日だけサッカークラブの練習に参加したが、ゲーム形式で周囲の動きについていけず一度もボールに触れなかった。
陸上では、いわゆる"運動音痴"だったが、幼少時代から水中は大好き。栃木県内の実家にある観賞用の池で鯉と一緒に泳ぎ「なんで鯉ってこうやって泳ぐんだろう?」と好奇心をくすぐられた。その姿を見た家族は「前世は魚だったんじゃないか…」と目を丸くしていた。
充実した練習環境
靴のサイズは30cm。大きな足から繰り出されるドルフィンキックが最大の武器だ。栃木・作新学院高時代は無名で、2学年先輩に’16年リオデジャネイロ五輪男子400m個人メドレー金メダルの萩野公介がいた。新潟医療福祉大学で急成長し、‘18年日本学生選手権男子100mバタフライで優勝。飛躍を支えたのが、新潟医療福祉大学の水泳部の充実した練習環境だった。
‘05年に水泳部監督に就任した下山好充監督は「ミニJISS構想」を掲げて、トップアスリートの強化拠点である東京都北区・国立スポーツ科学センター(JISS)をモデルに練習環境を整備。スポーツドクター、理学療法士、管理栄養士、体育科学の専門教員らをそろえ、科学的なトレーニングを施した。
水沼は初めて代表入りした’19年世界選手権は9位、'21年夏の東京五輪は10位でともに準決勝で敗退。世界舞台では海外の有力選手に気後れして、力を出し切れないのが課題だった。今回の世界選手権前はスペイン・バルセロナ、フランス・カネで開催された欧州の大会を転戦して海外勢への苦手意識を克服。本番でものびのびと泳ぎ、新潟医療福祉大学出身初の世界大会メダリストとなった。
「メイクヒストリーできたが、ここからが本当の戦いになる。世界に水沼尚輝の名前が知れ渡ったと思うので、それを一発で終わらせたくない。何回も何回も名前を出し続けられるようになるのが、本当の意味での革命だと思う。この1回に満足せず、常に高みを目指してやりたい」
今大会は男子400m個人メドレーを世界歴代2位の好記録で制した20歳のマルシャン(フランス)、女子400m個人メドレー金メダルの15歳のマッキントッシュ(カナダ)ら若手の躍進が目立った。10代から活躍する選手の多い競泳界で25歳の水沼は遅咲きといえるが、まだまだ発展途上。競泳ニッポンの歴史を変える挑戦は、来夏の世界選手権福岡大会、'24年パリ五輪へと続く。