まだまだ先行きが見えない日々のなかでアスリートはどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「コロナ禍のアスリート」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。
キャリアを彩ってきた得意種目との決別
メンタルへルスを優先し、愛着の深い種目と決別した。競泳日本代表で背泳ぎのスペシャリストとして15年以上も第一線で戦い続ける入江陵介(32歳・イトマン東進所属)が少し寂しげな表情で複雑な胸中を吐露した。
「200mに対して、2~3年前から逃げたくなるような思いがあり、100mにも影響が出てしまうことがあった。世界で決勝に残れているのは200m。捨てたいけど、捨てられない。葛藤はあったが、自分の心を傷つけないためにも、一度離れなければならないと思った」
3月に開催された国際大会代表選考会の200m背泳ぎで派遣標準記録に0秒33届かなかった。本命種目で代表権を逃した一方で、100m背泳ぎは派遣標準記録を突破して6月の世界選手権(ブダペスト)の出場権を獲得。自身7度目の世界選手権は初めて200mに出場せず、100mとメドレーリレーで勝負する。4月の日本選手権では200mを回避し、100mに絞って9連覇を達成した。
キャリアを彩ってきたのは200mだった。初の五輪舞台となった2008年北京五輪は200mに出場して、5位入賞。世界舞台で初めて表彰台に立った’09年世界選手権(ローマ)の銀メダルも200mだった。’11年世界選手権(上海)と’12年ロンドン五輪はともに200mが銀で、100mが銅。4度目の五輪出場となった昨夏の東京五輪でも200mで7位入賞を果たした。
今もなお泳ぎ続ける理由
世界一美しいフォームと称される水の抵抗の少ない無駄のない泳ぎが持ち味。体格に優れたパワー系が有利な100mよりも200mを得意としてきた。距離の長い200mはレースも練習も過酷で心身ともに負担が大きい。ここ数年は200mのレース後に嘔吐するなど体調を崩すことが増えていた。
「100mの決勝前に『明日は200mでここに来ないといけないのか』と翌日の200mのことを考えてしまい憂鬱になることもあった。200mのレース後に嘔吐することも多かった。3月の国際大会代表選考会でも200mのレース後に吐きました。心の問題が大きいと思う」
当面200mには出場しない方針だが、100mに特化した練習にシフトしたわけではない。昨年12月からは東京五輪女子200m、400m個人メドレーで2冠を達成した大橋悠依(26歳・イトマン東進所属)と一緒に練習しており、ほぼ同じメニューを消化。ウェイトトレーニングの質と量を上げ、ターン後のバサロキックの微調整など100mに向けた準備を進める一方で、1回の練習で5000~6000mの長めの距離を泳ぎこむことで持ち味の大きな泳ぎを失わないことに注力している。
「100mに絞ってもスピードトレーニングに特化しているわけではない。100mでも過去にメダルを獲ったことはある。体格、パワーだけではないことを証明したい」
今月中旬に欧州遠征に出発。スペイン・バルセロナ、フランス・カネで開催される欧州GPに出場後にブダペスト入りする予定だ。
「言い方は悪いけど、200mを回避した日本選手権はすごく気楽で楽しかった。前向きに自分の種目に集中することができた。200mを回避することで日程的な余裕も生まれる。世界選手権でも、どうなるか楽しみ。個人種目でもリレーでもメダルにチャレンジして、もう一度表彰台に戻りたい」
東京五輪を最後に引退も考えたが「何かまだ、心の中に足りないものがあった」と現役続行を決断。「東京五輪後は1年1年という考えで、まだ(2024年)パリ五輪を本格的に見ているわけではない」と言う。それでも200mの”呪縛”から解き放たれた32歳の表情は清々しくもある。16歳で初めて日の丸を背負ってから16年。キャリアの終盤を迎えて、再び泳ぐことの楽しさ、幸せを噛みしめている。