師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿を紹介する連載「相師相愛」。その貴重な対談の数々をまとめて振り返る。※2017年7月号、2018年4月号掲載記事を再編。固有名詞や肩書き、年齢等のデータは掲載時のまま
「いつかご馳走したい」齋藤太郎×枝廣 憲 対談
枝廣 すぐ上の年次の怖い先輩が恐れていた先輩でした(笑)。新入社員時代、電通入社10年目の齋藤さんに社会人とは何か厳しく優しく教えてもらって。
齋藤 生意気な新人だったよなぁ。とにかく突っ張ってて。しかも、かわいげもなかった(笑)。でも、いいとこもあったから、もったいないと思ってた。
枝廣 最初はとにかく仕事がつまらなくて。これは果たして自分がやるべき仕事なのか、と。
齋藤 当たり前だけど、新入社員にできることは少ない。
枝廣 そうしたら、誰でもできることができないくせに、自分にしかできないことをやろうとするな、とバシッと教わって。
齋藤 テングになっていて、バキッと鼻をへし折られて成長した経験が自分にもあったから。
枝廣 日本全国114の放送局を全部覚えるのも試練でした。テストができなくて、罰ゲームにビッグマック4個食べて(笑)。
齋藤 そういえば、あったね、そんなことも(笑)。でも、会社で一緒だったのは1年だった。
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「やんちゃと貫禄」足立 光×水留浩一 対談
初めて会った時は、32歳。競合会社のコンサルタントでした。同い年なのに、あまりの貫禄にびっくりしました。今とほぼ変わらないんですから。その後、同じコンサルティング会社に入るんですが、無理難題が次々に降ってきて。「あとは、よろしく」と。そんなところも貫禄あるわけです。ニューヨーク出張に一緒に行った時も、現地で体調を崩して「あとは、よろしく」。一緒にハードワークをやった仲です(笑)。
ひと足先に私が事業会社に移ったんですが、彼は42歳で日本航空の副社長に。これには本当に驚きました。見た目が老けているのはトクなんだなぁ、と改めて思ったり。でも、同い年でこのポジションは画期的でしたね。それからまたワールドで一緒に働くことになったんです。
年配の人にも可愛がられ、親分肌で部下にも慕われる。年齢以上にどっしり落ち着いて身構えている。いつか真似してみたいのですが、たぶん僕には永遠にできないと思います(笑)。
ワールドは声をかけてもらって入ったんですが、またしても「あとは、よろしく」と先に辞められてしまい(笑)。でも、次はきっと社長をやるんだろうな、と思っていました。
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