創業社長の共通点とは、なにだろうか。七転び八起きの人生、生死をかけた壮絶なる体験、事業立ち上げの苦労……。それぞれに悲喜交々(ひきこもごも)のストーリーはあるのだが、必ず持ち合わせているのが、物事を0(ゼロ)から1(イチ)へと推進させた経験だろう。連載「ゼロイチ 創業社長物語」では、そのプロセスをノンフィクションライター鈴木忠平が独自目線でひも解く。二人目は国内最大級の整形外科グループ「AR-Ex(アレックス) Medical Group」を創設した林英俊。#1「はみだしドクター」#2「希望をつなぐメス」#3「さらば、白い巨塔」
18歳で直面した素朴な疑問
尾山台のクリニックを出た車は、世田谷の住宅街を西へと走り出した。向かう先は川崎市多摩区のジャイアンツ球場だった。
手術を終えたばかりの林 英俊はもう巨人軍のチームドクターとしての顔になっていた。後部座席でスマートフォンの画面を見つめる。そこには、球場に着くまでに目を通しておかなければならない情報が列をなしていた。
巨人軍には16名のトレーナーがいる。一軍から三軍と故障班に分かれていて、故障班には2名の理学療法士がいる。これほどの医療体制を敷いているチームはおそらく他にないだろう。
チームドクターである林のもとには、その各所から随時、選手たちのリハビリ状況の報告や所見の要請が送られてくる。だから1日中、林のスマートフォンの明滅が止むことはなかった。
やがて窓の外には多摩川沿いの景色が広がる。だが、林の目には液晶画面しか映っていない。もう10年近くも、そうした生活を続けている。あっという間に24時間が過ぎ去っていくが、辛いと思ったことはなかった。
自前のオペ室を持ち、志をともにしたドクターと理学療法士とトレーナーたちがいる。そこに全国から患者がやってくる。
外に出れば、プロ野球や体操を舞台として最先端のスポーツ医療に携わることができ、トップアスリートの稀少なデータを臨床に生かすことができる。
自分が歩きたかった道の真ん中にいるという実感があった。
思えばかつての林は、ずっと探していた。
俺は一体、何がしたいのか?
そう自分に問いかけ続けていたーー。
林が生きる目的を自問するようになったのは18歳のときだった。
通っていた都立高校は進学校として有名で、3年生になると周りは受験勉強一色になった。東大、慶應、早稲田……。みんな有名大学に行くための戦いをしていた。ただ林は、自分が何をやりたいかがわからないうちは、どうやっても、その戦いに没頭することができなかった。
「なんで東大に行きたいの?」
友人たちに訊いてみた。誰からも明確な答えは返ってこなかった。
何がしたいのか?
林はまずそれを探す必要があると思った。
当然のように浪人したが、一浪しても道は定まらなかった。
あなたは教師に向いているんじゃない?
親戚のおばさんにそう言われた末に東京学芸大に入り、教壇をめざしたこともあった。だが、自分の心に嘘をついているような感覚が拭えず、すぐに退学届を出してしまった。
大学を出ていない両親に対して合わせる顔がなかった。家を飛び出して、月1万5000円のアパートを借りた。風呂とトイレは共同で、三畳一間は布団を敷けばいっぱいになってしまったが、不思議とこれでいいんだという確信だけはあった。
林には出生時の事故で視覚障害を負った弟がいた。幼いころから母が弟にかかりきりになるのを見てきた。それが影響したのかはわからないが、どうせやるなら誰かを救う仕事がしたい。世の中から自分という存在そのものを必要とされる仕事をしたいーー。そう決めた途端に吹っ切れた。
授業料が払えなかったため、予備校の教室にタダで潜り込んでつまみ出されたこともあった。公園で空き瓶を拾って小銭にかえたこともあった。そうしたことも苦には感じなかった。
三浪して日本医科大学へ入った。遠回りした分だけ、まわりの学生よりも、遠く深く自分の未来を見通していたのかもしれない。大学病院へ入局してまもなく、関節鏡手術を目にした瞬間に林は直感した。
俺はこれで生きていくんだーー。
皮膚を切り裂くことなく、小さな穴を開けるだけで人体の機能を取り戻すことができる。歴史が浅く、まだ未発達の分野であることも自分に合っている気がした。いても立ってもいられなくなり、関節鏡のトップメーカーの社長をつかまえて訊いた。
「この技術は、将来的にコンピューターに取って代わられることはありますか?」
社長は言った。
「それはない。少なくとも君が生きている間は絶対にないだろう」
理想や綺麗事だけではない。林にとっては人生をかけたビジネスだった。
やんちゃな理学療法士たちとの日々
大学病院では博士号を取ると、「御礼奉公」と呼ばれる地方病院への勤務に出る。林が赴いたのは長野県の辺境だった。病院へ行ってみると、茶髪を伸ばしている元ヤンキーっぽい人も含めて、若い理学療法士が5人いた。おそらく地元の不良少年だったのだろうと察した。
なんて、ところに来てしまったんだ……。
林は一瞬、絶望的な思いに駆られた。
ただ、接してみると彼らはやり場のないエネルギーにあふれていた。だから林は訊いた。
「君たちは何がしたいんだ?」
それから肩や肘や膝と部位ごとに役割を与えて、患者のリハビリを任せた。専門性を与えられた彼らは、そこに有り余っていた熱を注いでいった。
関節鏡視下手術という先端技術を持った林と、やんちゃな理学療法士たちの診療はまたたく間に評判になった。外来は朝9時から夜中の12時まで続いた。明け方まで手術をしたこともあった。病院の赤字は黒字へと転じ、待合室はいつも人であふれていた。
林はそこで確信をつかんだ。
長野で4年勤めてから大学病院へ戻ると、教授に告げた。
「関節鏡でやっていきたいんです。その部門のトップでやらせてもらえるなら、大学に残ろうと思っています」
教授は開口一番にこう言った。
「お前、いつから教授になったんだ?」
入局してからずっと感じていたことだった。既得権を守るかのようなヒエラルキーがある限り、医療は正しいスピードで前に進まないのではないか。少なくとも患者に必要なのは、治るか、治らないか、それだけだ。
「そんなつもりはありません。口のきき方が悪かったら、すいません。でも大学に残るなら、関節鏡でやっていきたいんです」
そう返答すると、教授はもういちど同じ顔でほとんど同じ台詞を口にした。
林はその場で「ここを辞めます」と告げると、大学病院を去った。
そして自分を待っている患者がいる長野へ戻ると、澁川とともに自分たちのクリニックを開いた。
それからはずっと、「何をしたいのか?」と人に問い、その願いを繋ぐために生きてきた。そこに生まれる悲喜こもごもに身を浸すために、白衣を着てきた。
今日はどんな絶望を目の当たりにし、どんな希望に出逢うだろうか。
ジャイアンツ球場へと向かう車は多摩川を東から西へと渡った。
林はグラウンドで待っているプロ野球選手たちに思いを馳せながら、スマートフォンの画面との睨めっこを続けた。
#1「はみだしドクター」
#2「希望をつなぐメス」
#3「さらば、白い巨塔」
#4「何がしたいのか?」
#5「アレックスの夢」
創業社長物語「ゼロイチ」スマートエナジー大串卓矢編はこちらから!
AR-Ex Medical Group
国内最大級の整形外科専門クリニック・グループ。長野県に3クリニック、東京都に4クリニック、埼玉県に1クリニックの計8クリニックを展開。グループ名の「AR-Ex」は、Arthroscopy (関節鏡視下手術)、Rehabilitation(リハビリテーション)、Exercise (運動療法)の頭文字からとったもの。スポーツ外傷・関節障害を治療する上で、最も重要なこの3つの治療分野の専門スタッフがチームとなり、外来・入院・復帰まで完全サポートする。公式Instagram
Tadahira Suzuki
1977年生まれ。日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を経験した後、文藝春秋・Number編集部を経て2019年からフリーに。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』。取材・構成担当書に『清原和博 告白』『薬物依存性』がある。’20年8月から週刊文春で連載していた『嫌われた監督〜落合博満は中日をどう変えたのか〜』が、単行本として刊行予定。
制作協力
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「人生に豊かさを。やりたい事、好きな事で成功を収め、社会に還元する」
東京・ロサンゼルス・ニューヨークをベースに社会的影響力の強いスポーツ、Performance & Arts、アントレプレナーの方々と共に、社会に必要とされる新たな価値創造を目指す会社。公式Instagram