スクランブルエッグがイギリスの『The Times』紙で”世界一の卵料理”と絶賛され、トム・クルーズやヒュー・ジャックマンなどハリウッドセレブにもファンが多い「bills」。いまだに収束の気配が見えないコロナ禍の中で、ブームの仕掛け人であるビル・グレンジャー氏を独占インタビューした。現在5ヵ国で19店舗を展開する「bills」創始者の現在・過去・未来とは――。第2回は過去編。【第1回現在編はこちら】
独学で料理の腕を磨き、23歳でシドニーに店をオープン
大学でアートや建築を学んでいたビル・グレンジャー氏が、シドニーの住宅地、ダーリング・ハーストに最初のレストランをオープンしたのは1993年、23歳の時だった。実家が牧場を所有し、祖父が精肉店を営んでいたこともあり、かねてから起業に関心を持っていたという。
「学生時代、アルバイトでカフェのキッチンで働いていたのだけど、それがとても楽しかった。食が好きで、インテリアにも興味があり、人と接するのも楽しい。そのすべてに関係するレストランの経営は、私にとって自然な流れだったんだ」
もっとも正式に料理を学んだこともなければ、経営の経験も皆無。いきなり自分の店を立ち上げるのは、少々無謀な気もするが。
「失敗するリスクはもちろん考えたけど、それよりチャレンジしたいという気持ちの方が強かったね。祖父に資金を借り、掘り出し物の物件を見つけ、とにかくやってみようと。それに、万が一失敗しても、若かったので、いくらでもやり直しはきくと思っていたよ。当時はまだ、守るべき家族もいなかったからね。The glass is either half empty or half full.コップの水理論で言えば、僕は『まだグラスに半分も水がある』と考える方。昔も今も、家族からはスーパーポジティブだと言われるよ(笑)」
夜間営業禁止を逆手にとり、朝食にフォーカス
「bills」が成功した理由のひとつは、"朝食"にフォーカスしたことだ。その理由は、「おいしい食事とコーヒーで一日を始められるのは、とても贅沢なことだから」。
「子供の頃、僕にとって一番贅沢な時間だったのは、ホテルでの朝食だった。豊富なメニューの中から好きなものを選んで、おいしいコーヒーを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごす。充実した朝食は、すばらしい1日のスタートになると実感したよ。その幸せな気持ちを、多くの人に味わってもらいたいと考えたんだ」
そう言った後、「そもそも、出店場所が住宅地で、条例上朝食とランチの営業しかできなかったという理由もあったんだけどね」と、いたずらっぽく笑うグレンジャー氏。規制を逆手にとった、斬新な発想だったというわけだ。
狙いは的中。当時のシドニーには、朝食をレストランで楽しむという習慣がなかったにも関わらず、「bills」には、多くの人が朝食を楽しみ訪れるように。リピーターの中には、当時近隣に住んでいたトム・クルーズもいたというから、人気のほどが伺えよう。
その勢いのまま、1996年にはシドニーのサリー・ヒルズに2号店を、2014年にはボンダイ・ビーチに3号店、そして'21年5月にはコロナ禍であるにも関わらず4号店をダブルベイにオープン。それに触発されるかのように、シドニーには本格的な朝食をサーブするレストランが急増した。「bills」は、オーストラリアに朝食文化を根づかせたパイオニアでもあるのだ。
惜しげもなくレシピを公開してきた気前の良さ
「bills」といえば、店のシグネーチャー・メニューのつくり方を公開していることでも知られる。グレンジャー氏がこれまで執筆したレシピ本は12冊にのぼり、料理番組も30ヵ国以上で放映されている。
初めてのクックブック出版から20周年を記念し、昨年10月に最新のクックブック「Australian Food」を発売。世界中の「bills」で長年愛され続けるクラシックなメニューから、ランチやディナー、カクテルやアペタイザーまで、惜しげもなく彼のレシピが公開されている。
グレンジャー氏のこだわりでもある素材を活かしたシンプルな料理であることから、ステイホーム期間にも、自宅で「bills」を味わえる粋な計らいが人気を支える強みのひとつになっている。
12冊のレシピ本を発表し、料理番組も30ヵ国以上で放映され、「King of Breakfast」に始まり、「シドニーのエッグマスター」や「アボカドトーストのゴッドファーザー」、「オーストラリアカフェを世界的流行にした男」など世界のメディアから様々なキャッチコピーで呼ばれるグレンジャー氏は、自らの肩書を「レストランター」としている。「シェフ」でもなければ、「bills代表」という表現でもない。
どの店舗も"home away from home"のような、まるで家にいるようにリラックスできる空間である一方で、その土地に合わせたさりげない違いを演出しているのだ。
連載最終回となる第3回は、先見の明に長けたグレンジャー氏が見つめる"未来"について語ってもらおう。
Bill Granger’s TURNING POINT
1993年 23歳 シドニー郊外のダーリンハーストに「bills」1号店をオープン
2000年 29歳 最初のクックブック「Sydney Food」を発売
2002年 31歳 ニューヨークタイムズ紙で「シドニーのエッグマスター」と称される
2004年 33歳 BBCで自身の名を冠した料理番組シリーズ「Bill’s Food」放映
2008年 37歳 海外1号店として日本に「bills 七里ヶ浜」をオープン
2011年 40歳 ロンドン1号店「Granger & Co Notting Hill」をオープン
バッキンガム宮殿の晩餐会に招かれエリザベス女王に料理を振る舞う
2014年 41歳 ハワイ・ワイキキと韓国・ソウルにそれぞれ「bills」をオープン
2020年 59歳 12冊目のクックブック「Australian Food」を発売
Bill Granger
1969年オーストラリア・メルボルン生まれ。'93年、当時通っていた美術大学を辞め、「bills」一号店を開く。2008年、海外第一号店を日本でオープンし、現在は日本国内に8店舗のほか、ロンドン、ハワイ、ソウルにも店を構える。5つの料理番組が世界30ヵ国で放映され、レシピ本も12冊出版。イギリスとオーストラリアの新聞や雑誌に毎週コラムを執筆するなど、フードライターとしても活躍。