世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2011年6月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
頭をおこしていよう。まだものを産み出すことのできる限り、諦めはしないだろうよ
――『ゲーテとの対話』より
ゲーテは宰相として、また劇場監督としてワイマール公国の政務にあたる時期があった。芸術家ゲーテのパトロンであり、また生涯にわたって親しくしてきたその王妃が亡くなったという知らせに、八十歳の老ゲーテはワインで哀しみを抑えつつ、この言葉を語った。「生きている限り」と枕をつけて。
あらゆるものに光と影がある。創作はゲーテにとって、生きる上でのまばゆい場であるとともに、まったく同じ時間がもたらす影からの逃げ場でもあった。弟子のエッカーマンは、「あそこにあなたを慰めてくれるものがあります」といって、原稿用紙を指さすのである。
さて、私たちの国の運命。歴史的な大地震と津波を一度に被ってしまった。そしてあの原発事故。今後押し寄せてくるに違いないさらなる不況と相まって、時代はいよいよ厳しくなっていきそうだ。
しかし、ただ手をこまねいて見ているという選択肢は私たちにはない。なかったことにはならないし、忘れたふりもできない。どんな方法であれ、それぞれのやり方で立ち向かうしかない。ここはまさにゲーテの言う通りだ。生きている限り、諦めることはない。この時代を乗り越えることは、誰にとってもひとつの節目になる。それがたとえ、哀しみとともに生きていくという静かな決意だとしても、頭をおこした上での判断であれば、固有の、確たる生だ。
辛苦を乗り越えようとする時にもっとも有効な方法は、なにごとにつけ没頭することだと私は思っている。頭をおこして、頭を没せしめる。ある意味でそれは前向きな逃避であり、時と力の純化である。起きてしまったことを解決する方法はない。ただひたすら前へ進んで行き、新たな領域に入る。そのことをもって、乗り越えると言う。蘇生するとも言う。
頭をおこしていようと語ったゲーテはこの年、六十も歳下の若い女性に恋をし、詩を書き、挙げ句の果てにふられている。そうした行為に恥辱を感じたかどうかはわからないが、この無謀なまでの前進主義がゲーテのひとつの特性だ。
そう。諸刃の剣には違いないが、恋する心もいい。生きものを前に向かわせる。立ち上がる力を与えてくれる。
――雑誌『ゲーテ』2011年6月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。