世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2007年4月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
一つ所に執着するな。元気よく思いきって、元気よく出でよ! 頭と腕に快活な力があれば、どこに行ってもうちにいるようなもの。太陽を楽しめば、どんな心配もなくなる。この世の中で気ばらしするように世界はこんなに広い
――『ゲーテ格言集』より
たとえばあなたは今、住宅ローンの支払いに音を上げている時かもしれない。あるいは迫りくる債務に苦しむ経営者であるかもしれない。またあなたは今、株の信用取引で大こけし、祖父の代からの家財産を手放さなければいけない瞬間かもしれない。そしてあなたは思う。世界はなんと過酷で、自分はなんとちっぽけな存在であるのかと。
だが一方で、ここに所有をあきらめた者がいるとする。早い話が私のような者で、放蕩の挙げ句にすっからかんになり、家を失い、書いても書いても本は売れず、呑んだ夜はタクシー代が払えないがために延々二十キロを歩いて帰る、そんな男の話だ。
当然この男にも苦悩はあった。川べりの安アパートで、人生や、運気や、ものごとの価値について考える日々。目の前は土手だ。これからどう生きていこうかと思案しながら、枯れ草で覆われた冬の川辺を、まるで試練の道であるかのように、あるいは思索の道場であるかのようにひたすら歩いた。そして思った。所有などしないと。人生の半分はとうに過ぎてしまった。これからなにかを所有したとしても、そう長い間ではない。
それならば、所有することのために残された時間を費やすのはあまりに惜しい。その代わり、世界に出て行こう。そして表現するのだと。
しばらくして、川に春がやってきた。南風が土手の景色を変えた。男はまた黙々と歩いた。色とりどりの花が咲き始めた土手を、今度は自分の庭として、自分の風景として。自分自身のもうひとつの姿として。
一つ所……所有の執着を脱した者が、逆にとてつもないものを手に入れてしまうことがある。それは世界と自分とは不可分だという感覚だ。世界と自分を区別する者は、欠乏の恐怖からやたらなにものかを手に入れたがる。だが、世界とは自分なのだという認識があれば、なにも手に入れる必要はない。初めから与えられているのだから。
噓だと思いますか。
だけど、世界はあなたが生まれた時に生まれ、あなたが滅ぶ時に滅ぶ。あなたが生きている間、世界はあなたのもので、しかもこんなに広い。世界とは、実はあなたなのだ。
――雑誌『ゲーテ』2007年4月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。