世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2007年9月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
ほかの人びとには青春は一回しかないが、この人びとには、反復する思春期がある
――『ゲーテとの対話』より
高齢にもかかわらず若々しい活動力を失わない人。まるで青春が始まったばかりのように爆発的な創作を続ける人。そういった人々をゲーテは天才と呼び、その秘められた事情を「反復する思春期」だとした。
もちろん、ゲーテもその一人である。この言葉を放った時すでに七十九歳。それでいて若い弟子であるエッカーマンからは、「たえず学びに学んでいる。そしてまさにそのことによって、永遠にいつも変わらぬ青春の人であることを示している」と評された。
「青春とは心の若さをいうのである」というサムエル・ウルマンの言葉がここしばらくの人気だ。この言葉が額に飾られた社長室などを見かけることもある。しかし、そうした空間はなぜか陳腐で、皮肉にしか思えない場合が多い。それはそこが効率や合理性を要求する側の巣穴だからだ。
学ぶとは、大いなる無駄への行進である。利益に左右されない、脳が喜びを得るための森羅万象へのパレードである。その人間らしさを失った時、脳は、心は枯れ始める。
悪いことは言わない。効率ばかりを謳った勉強本などには惑わされないことだ。自ら道を切り拓いてこそ脳は活性化する。無駄をやるからこそ青春がもう一度よみがえる。他に方法はない。学ぶことが若さの秘訣である。
バック・トゥ・スクールという言葉が欧米にはある。ある程度の年齢になったら、また学校へ戻ってきなさいということだ。五十、六十になってから、新しい語学を始めてもいい。今から新しい外国語を学んで、いったいなんの役に立つのですか? と批判めいた口調で訊いてくる人も現われようが、気にすることはない。新しく言語を学ぶ。まさにそのことによって、脳が活性化されていく。その恩恵は計り知れない。
ちなみに私は、縁あって出演させていただいた映画がカンヌに招待されたことで、初めて南フランスの土を踏み、感じ入るところが多々あった。帰国後、迷わずにフランス語の学校に通い始めたのだが、フランス語のできそのものよりも、舞台でのセリフの暗記力や詩の構築力がこれまでにないほど増していることに驚いている。四十九歳からのアルファベであったとしても、ひとつの青春がまたそこから始まっている。
――雑誌『ゲーテ』2007年9月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。