世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年3月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
忘恩は常に一種の弱点である。有能な人で忘恩だったというのを、私はまだ見たことがない
――『ゲーテ格言集』より
耳に痛い言葉だ。
自分の話で申し訳ないが、振り返れば道の方々に崩落や陥没があり、決まってこの忘恩が潜んでいる。運気とは人の気の流れのことなのだから、一人で頑張ってきたのだなどと勘違いしたような時にはもう遅い。梯子はとうにはずされている。
よって失敗のたびに、これからは恩義のある人にはできる限りの気持ちで接しようと思う。しかし、これがまたやっかいだ。誰にどんな恩があるのかと考えているうち、だんだんわからなくなってくる。結局のところ、自分の利益のためにそれを意識しようとしているのではないか。それで別にいいではないかという声。いや、浅ましいだろうという声。恩を巡って内側の葛藤がある。
すごく逆説的な言い方になるのだが、特定な人から恩をこうむっているとは考えないのもひとつの方法だと思う。恩があるのは、自分と関係をもってくれたすべての人なのだ。分けへだてなく「ありがたい」と思えなければ、しょせんはまた同じ轍を踏むことになろう。
とはいえ、全員にギフトを贈るわけにもいかない。できることはただひとつ、それぞれの顔を思い浮かべ、心のなかでそっと「ありがとう」と念じることだ。
日々の気持ちのなかに、「ありがとう」があるのか、ないのか。説法のようにもなってきたのでこらえて欲しいのだが、たしかに「ありがとう」の内なるつぶやきにはミラクルな力が宿っており、これは念じる側の心に、平穏と、そして彩りのある時間をもたらしてくれる。
口先だけの感謝の言葉とは違い、心のなかで「ありがとう」を発するためには、本当にその気持ちがなければならない。やってみればすぐにわかることで、人は行為では噓をつけるが、心ではできないのである。すなわち「ありがとう」は一種の心の鍛錬でもある。多くの人、もの、時間に感謝できる心になれるかどうか。相手をイメージしながらそれができるようになった時、世界は極彩色に変わっていく。
ゲーテの言葉を少し変えるなら、「有能な人はみな感謝しながら生きている」ということになる。それもそのはず、感謝することによって、その人の生きている世界そのもののステージが上がっていくのである。数々の言葉を残してくれたゲーテ本人にも、「ありがとう」と伝えたい。
――雑誌『ゲーテ』2010年3月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。