世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2007年5月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
慰めは、無意味なことばだ。絶望し得ないものは生きてはならない
――『ゲーテ格言集』より
絶望だけは避けたいと思うのがごく普通の人情だ。しかし、喜びと哀しみは表裏一体、希望と絶望は同じものを根とするのだから、絶望から逃げて人生を歩もうとすることは、希望を遠ざけて生きることに等しい。それもまた受け入れ難い。
希望を持てば持つほど、努力をすればするほど、転がり落ちた時のショックは大きい。夢など見ない方がよかった、その方が傷つかないというのはその通りで、決して誤りではないのだが、では、夢を見ずに生きていくことが可能なのかというと、少なくとも私にはそれはできない。きっとあなたもできない。空白の日々を生きているように見える修行僧だって、解脱という夢がある。人はそれなしでは生きられないのだ。
人生を希望で燃やし続けたゲーテはもちろん、絶望の人でもあった。おそらくは希望の数だけ絶望している。親が強制した法律家の道を好きになれず、拒否もできず、まず学生時代が灰色。根っからの恋愛気質ゆえにやたらホの字になるものの、ほぼすべて実を結ばずに終わってしまう。人妻に恋し、苦しみ、突然公務を放り出してイタリアに旅立ったことなど、若い時分だけでも、まさに「泣きながらパンを食べた者にしか本当のパンの味はわからない」(これもゲーテの言葉)と、力強さと同じだけ、自らの弱さにも目を向けている。『若きウェルテルの悩み』が当時の若者たちをとりこにしたのも、この時代に至るまで人の胸にしみ入る言葉を残せたのも、希望と等しく絶望を大切にした彼の特性による。
だが、絶望が人を育てるという言い方を単純には受け取って欲しくない。絶望はなにか生産的なもののためにあるのではなく、ただ絶望としてそこにあるだけだ、ということを私たちは認めるべきだと思う。ゲーテもおそらく、その闇をしっかり見つめた。彼の生涯を絵にたとえるなら、あらゆる具象を際立てる要素として黒や灰色が見え隠れする。それがあるからこそ全体が鮮やかに輝く。慰めによって絶望から逃げようとする人の絵は、黒い絵の具がないために輪郭を失い、あやふやな印象しか残さない。
ゲーテは絵の具の代わりに、言葉で日々を描き続けた。それは考えられる限りの人間の内面の色彩で、私やあなたのものでもある。
――雑誌『ゲーテ』2007年5月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て1994年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。’99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。2015年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。