世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌「ゲーテ」2009年1月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
冬のあいだじゅう、一瞬だって無意味な時間はありやしないよ
――『ゲーテとの対話』より
多少のずれは毎年あるが、春夏秋冬は順番を一度も間違えることなく、正しい巡りでやってくる。季節とはそういうもので、夏の次にいきなり冬がきたりはしない。ところが世界の経済はここしばらく冷たい風に吹かれていて、地球上はあちらこちらで冬が停滞しているようだ。
若きエッカーマンが、老ゲーテの門弟となって迎えた初めての冬。ゲーテは彼を自宅に逗留させようとして、この言葉を放った。
詩と批評の基礎を学びなさい。そのための最善の方法を自分は知っている。たくさんの優れた人間と出会いなさい。だからこの冬には、ぼんやりしている時間などないのだ。
言葉がポジティブ過ぎて、目の奥で両手を突き出したくなった人もいるだろう。NO! 冬は炬燵で熱燗がいいと。それはそれで美しい行為だと私も思う。
要は、冬を嫌わないことだ。
田舎のおじいさんが焚き火の前で言いそうなことだが、人生にも四季はある。なにをやってもうまくいかない時期、それは冬なのだから仕方がない。無理に芽を出そうとすれば一巻の終わりだ。
このことは、私もよくわかっている。なにをやってもうまくいった季節と、なにをやっても実を結ばなかった季節。そのふたつを実地で経験しているからだ。
季節の違いは、人の集まり方の違いとなって表われる。運気に乗り、どんな仕事もうまくいく日々。そういう時は地平線から湧くかのように人が集まってくる。みんな笑顔だ。好意も示される。だが、なにか透明で巨大なものが倒れたかのように、ある日を境に世界が変わってしまうこともある。強い風が吹き荒れ、気付けば自分はかつての場所を追われている。人は去っていく。ともに歩いてくれているのは、残りのたった数人。
だが、これこそが学びなのだ。まったくひどいことになってしまったなという時でも、自分から離れないでいてくれる人々。彼ら彼女らが、実に……友人というものだ。
冬場はまた、荒涼とした景色の向こうに憧れを見る時期でもある。失われて、なにが自分にとって大切であったかを知る。ああ、こういうことを志していたのだと、かつての希望をもう一度たぐり寄せる。
つまり、冬ほど蓄えられる時季はない。熱燗も大賛成だが、ゲーテが言うように、冬は大事な季節である。寒さが身にしみるからこそ、真に温かみを知る季節でもある。
――雑誌「ゲーテ」2009年1月号より
Durian Sukegawa
1962年東京生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て1994年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。1999年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。2015年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。