2019年2月期、売上高6,081億円、経常利益1,030億円、32期連続の増収増益という、 文字どおり日本一の家具チェーンへと導いた、似鳥氏の現役バリバリの生活に迫る。
32期連続の増収増益! 自ら開発の現場に赴く
滝川 似鳥会長は2007年にフランス文化勲章レジオン・ドヌールのシュヴァリエを受章されています。フランスとはどんなご縁があるんですか?
似鳥 札幌の名誉領事を10年以上やっているんですよ。札幌で商売を始め、創業当時は欧米から家具を輸入したりもしていました。今はもうほぼベトナムの自社工場生産ですが。ハノイとバリアブンタウで7000人くらいのスタッフがいます。
滝川 ベトナムは急速に発展していますよね。
似鳥 日本と感覚が似ていて勤勉ですし、若い労働力がどんどん増えていて平均年齢も28歳くらい。人件費も年収にして40万円ほどです。この先外資企業が押し寄せると人手が足りなくなってしまうから、人材確保も重要な課題です。
滝川 今、会長は海外展開に注力されていて、月の半分は海外にいらっしゃると聞きました。
似鳥 はい。中国、台湾、アメリカ、タイ、ベトナム。休みの土日はほぼゴルフで、去年は105日やりました。秘書にも内緒でホントはもう少し行ってる(笑)。滝川さん、ゴルフは? されるならぜひ夏に小樽でやるニトリレディスゴルフトーナメントに出ていただきたいなあ。
滝川 いえ、そんなそんな。しばらく休んでいるんですよ。でも大会も主催されているんですね。やはり北海道での活動をとても重視されていらして。
似鳥 地元ですからね。北海道の観光と、農業の手助けをできたらと思っています。農業は10年前から1000万本を目標に植樹を始め、今、500万本くらいになりました。
滝川 社会貢献活動でも度々お名前を見かけます。被災地の支援も、会社だけでなく個人でも億の単位の寄付をなさったと。
似鳥 おかげさまで事業が順調ですから、借り入れをして。あとは奨学財団をつくって自分の株を寄付して、その配当で国内外の学生、年間700人くらいに無返済の補助をしています。
滝川 32期連続増収増益の利潤を、社会に還元される形で。
似鳥 最初10年はいつ潰れてもおかしくなかったけれどね。
滝川 会長自ら商品のアイデアを出し、開発に関わられているというお話も驚きました。
似鳥 アイデアはどんどん出てきます。例えば今、Nクールという商品が売れているんですが、きっかけは、札幌から東京に来て夏の寝苦しさに悩んだこと。冷房をかけるとだるくなるし、疲れがとれなくて。それでヒヤッとする寝具がほしくなって開発したんですよ。最初は売れなかったけど今は年間約1000万枚売り上げるようになりました。自分や身近な人の不平や不満を解決する方法を考える。それが基本ですね。
滝川 でも実際は、経営者が開発に関わるってなかなか……。
似鳥 もっとやったらいいのにね。たぶん突き詰めが足らないんだと思う。こんなものがあったらいいな、で終わっちゃう。私はこの世に不可能はないと思っているし執念深いから、徹底的に突き詰めるんです。「なぜ」を7回までは考える。狙ったものは必ず成功させます。
滝川 自分の判断には絶対の自信を持っていらっしゃる?
似鳥 まさか。間違いや失敗の繰り返しですよ。でも失敗してもやり続ける。ベッドやソファで使っているスプリングも、何度も何度も工場に出向いて改良を繰り返しました。
滝川 現場に行かれるんですね。
似鳥 現場・現物・現実の3現主義は大事です。トップクラスが本部から出なかったら商品開発は進まないですよ。私がしょっちゅう現場に行くから、社員もフットワークが軽い。現場に行くことで課題も見えるし、解決のアイデアも出るんです。
滝川 2017年に創業50周年を迎え、目標として2033年までに世界3000店舗を掲げられています。現在の手応えはいかがですか。
似鳥 この商売を始めた時に、30年計画を二段階で設計しました。今は第二期の16年目。第一期の100店舗・1000億円の売上目標は1年遅れで達成できたから、次は3000店舗・3兆円。10年ごとに3倍増の計算で、今は4年後の1000店舗・1兆円に向かっています。
滝川 その目標の立て方は、会長が師と仰がれている経営コンサルタントの故・渥美俊一さんの考えに則ってですか?
似鳥 そうです。33歳の時に渥美先生の設立されたチェーンストア経営研究団体「ペガサスクラブ」に入りまして、そこですっきりと迷いがなくなった。それまでは毎日朝から晩まで迷っていました。
滝川 どのような考えに一番、影響を受けましたか。
似鳥 それまで10人以上のコンサルタントについていましたが、志があったのは渥美先生だけでした。他の先生は売上とか利益の話ばかりだったんですが、渥美先生は、まずは日本人の暮らしを豊かにすることを考えるんだ、そうすれば儲けようと思わなくても利益なんかついてくるっていう。本当にそのとおりなんです。そして不可能に思える目標も「ヒト・モノ・カネ」の逆算をして、目標を段階的に考えていけば、必ず実現できるのだと。
滝川 24歳でお父様の土地と建物を使って家具の卸売を始められました。その時、現在のようなビジョンはありましたか。
似鳥 全然。商売を始める前はサラリーマンを1年足らずでクビになって、土木の仕事も火の不始末で責任を取って辞めたし、接客も苦手だし、生きていくために仕方なく始めたんですよ。家具を扱ったのも、その地域になかったのが家具屋だけだったから。競争相手がいないなら食べていけるだろう、という単純な発想で始めたんです。
滝川 それがご自身の才能に特化できる仕事に。
似鳥 たまたまね。だからうちの会社も2、3年でどんどん配転させます。経験したことのない仕事をさせて、自分では気づかない才能に目覚める社員もいます。
滝川 社内競争も奨めていますよね。同期でも報酬が違うと。
似鳥 3倍以上違います。給料に差があったほうが、努力した人が報われるから、ボーナスも7倍の差がある。社内で競争に勝てる人が幹部になってくれたら他社にも勝てる。和気あいあいじゃ会社は潰れちゃう。全員ライバルです。
滝川 グローバル視点の競争力を持つには、それだけの自己実現能力が必要ということですよね。社内教育にもかなりお金をかけていらっしゃるとか。
似鳥 通常の企業の5倍はかけているんじゃないかな。人が育つほどに私が楽できるから(笑)、そこはまったく惜しまずに。教育投資は企業が一番お金をかけるべきところと思いますよ。社員にも、40歳までは貯金なんかしないで全部自己投資に使うように言っています。海外の研修に行くとか、勉強になることは何でも。若いうちに家を買ったら支払いに追われて勉強どころじゃない。豪邸は50歳すぎて買えばいい、と。仕事って、自分の夢や希望を実現するためのものだと思うんです。私の場合は27歳の時にアメリカに研修に行って、日本の暮らしが50年遅れていることにショックを受けて、欧米に追いつき、追い越したい、という目標ができました。そこに儲けたいという気持ちが入ると、うまくいっても長続きはしない。お客様は必ず気づくから。逆に喜んでもらえるように考えたらお客様は自然と増えます。これはどんな商売でも変わらない真理だと思いますね。
Akio Nitori
1944年樺太生まれ。’66年北海学園大学経済学部卒業。’67年似鳥家具店を札幌で創業。’72年米国視察ツアーに参加し「日本の生活を豊かにする」志を持つ。同年ニトリ家具卸センターを設立。’78年社名をニトリ家具に変更。’86年社名をニトリに変更。2017年社長職を退き同社および同HD会長に。