サッカー選手 兼 監督 兼 投資家 兼 起業家・本田圭佑は、言葉を使うことで、自らをインスパイアし、 世界にサプライズを起こす。その脳には どんな言葉=「思考」が隠されているのだろうか。
結果がほしいなら一心不乱に努力してみるべき
僕は努力する人を尊敬する。
その大切さとつらさを自分がよくわかっているからだ。まったく練習しないプロアスリートは、世界中どんな競技を捜してもいないだろう。誰もが大なり小なり身体のどこかに痛みを抱えてもいるはずだ。だからこそトレーニングをしなければならない。トッププロであればあるほど、地味でつらいトレーニングを続けているのは間違いない。
僕はいつも人間はやりたいことをやるべきだと言っている。だがやりたいことをやるためには、やりたくないこともやらなければならないのも事実だ。
フィジカルトレーニングが好きなアスリートなんて存在しないはずだ。僕だってできればシュートや試合形式の練習だけをしていたい。でも日々つらいトレーニングを続けている。それはプロであるための最低条件なのだ。面白みはまるでない、ただつらいだけのトレーニングができなくなったとしたら、それがプロアスリートをやめるタイミングなのかもしれない。
正直に言うと、フィジカルトレーニングを完璧にできたことはほとんどない気がする。トレーニングをしていると、肉体が、精神が悲鳴を上げる。
「十分頑張った。もう今日はここまででいいよ」
そう囁きかけてくる。つらいことをやりたくないという〝欲求〞の声だ。時には、その声に負けてしまう自分もいる。そんな自分をはがゆく感じることも少なくない。
トレーニングだけではない。欲求は常に自分を甘やかそうと揺さぶってくる。
「食べたいものを食べたいだけ食べればいいじゃないか」
「寝たいだけ寝ればいいじゃないか」
「欲しいなら買えばいいじゃないか」
言い換えるなら、欲求とは動物としての本能だ。だが、欲求を抑制することなく過ごしていたら未来は訪れない。欲求と戦い、感情を制御してこそ人間だ。やりたくないことを続けた先にしか、結果はついてこない。
僕が欲求と戦いながら、努力を続けていられるのは、これまでの成功体験があるからだと思う。地味なトレーニングが結果に導いてくれると実感できた瞬間が何度もあったからこそ、その必要性を理解できている。弱点を克服し、痛みを乗り越えさせてくれるのは、地味なトレーニングなのだ。年齢的に肉体のピークは過ぎているかもしれない僕が、今でも成長している自分を感じられるのも、日々のトレーニングのおかげだ。
自分が本当にやりたいことを見つめれば、やらなければならないことが見えてくる。結果が欲しいなら、まずは一心不乱に努力してみるべきだ。結果が出れば、〝次〞に向かう力が湧いてくる。もちろんそこに待っているのは次なる努力。そうやって一歩ずつ前に進んでいくしかない。楽しいことと、楽なことは決して一緒ではないのだ。