東京大学農学部を卒業後、大蔵省、マッキンゼー、そして独立後、IT業界へ。そして宇宙業界へとたどりついた今、すべてのキャリアが生かされているという宇宙ビジネスの魅力を語る。
日本の小さな企業が宇宙の平和を守る
滝川 宇宙ゴミ(スペースデブリ)の問題は、一般的にはまだあまり知られていませんよね。2013年に公開された映画『ゼロ・グラビティ』で初めて、その存在と恐ろしさの片鱗を知ったという方も多いと思います。
岡田 実際の宇宙空間では、映画で描写されていたよりも遥かに速いスピードで、かつ回転しながら動いています。秒速8キロメートルという弾丸の30倍もの速さで、1日あたり地球を約16周していますから、とても肉眼では追えないんですよ。
滝川 しかも破片がぶつかりあって砕け、自然発生的に増え続けていくんですよね?
岡田 はい。大きいものは古い人工衛星やロケットの上段部分などで、大型バスサイズのものもあります。それらがぶつかって爆発した破片はミリ単位のものまでさまざまですが、現在、人工衛星が2000基弱あがっているのに対して、その周りのデブリは比較的大きなものだけでも2万3000個以上観測されています。微小なものも含めたら億単位に上りますね。
滝川 すでに宇宙ゴミとの衝突事故も珍しくないと聞きます。
岡田 アメリカのイリジウムという衛星がロシアの役目を終えた軍事衛星と衝突したことがあります。それから6年前に、エクアドルがやっと打上げに成功した第1号が、ひと月でデブリに当たって死にました。
滝川 ショックですよね……。
岡田 少なくとも数年と1億円弱を失ったことになりますからね。これは他人事ではありません。僕らの生活は今、宇宙のテクノロジーにすごく頼っています。衛星放送やGPSはご存知のとおりですけれど、交通網は飛行機も船も自動車もすべて衛星を使っていますし、津波や噴火といった災害対策、農業漁業、インターネットや証券取引所の時刻もタイムスタンプといって、衛星のおかげで世界均一になっています。軍事衛星もありますし。もはや衛星なしに生活することは不可能でありながら、リスクの大きいデブリを放置し続けているのが現状です。
滝川 なぜ今まで何の対策もとられなかったのでしょうか。
岡田 国連に設置された宇宙空間平和利用委員会には90ヵ国近くが加盟していて、もう30年以上、議論が続けられてはいるんです。でもなかなか議論が進みません。
滝川 30年以上も進展せず?
岡田 議論するうちに、問題が深刻化しているのが大きな理由ですが、今後の大きな議論は誰が費用を負担するかです。現在、宇宙ゴミの9割以上が、ロシア・アメリカ・中国が打上げたものです。その3国に費用負担してほしい、と他の国は考えます。でも3国は、いや受益者が負担すべきだろう、と。
滝川 そんな難問に一民間企業が名乗りを上げるなんて前代未聞ですよね。もともと宇宙ゴミの問題に着目されたきっかけを教えていただけますか。
岡田 いわゆる「中年の危機」で、39歳になって迷いが出たんです。本当にしたいことは何だろうと考えていたある日ふと、高校1年でNASAのスペースキャンプに参加した時に毛利衛宇宙飛行士にいただいた直筆のメッセージ「宇宙は君達の活躍するところ」を読み返して、宇宙への関心が高まったんですね。それでよく話題になることを知るために宇宙関係の学会に参加して……という流れでスタートしました。
滝川 会社を起こされたのが2013年。たった6年で、もう、ほぼ準備完了の状態に。
岡田 今はJAXAや欧州宇宙機関(ESA)とも情報や技術を共有しています。スタッフも社員66名と少数精鋭ですが、NASAやJAXA、大手の宇宙開発メーカーから集まっています。最初のうちは「実現するわけがない」と、話も聞いてもらえませんでしたけれど。
滝川 前例がないから……。
岡田 ええ。言ってみれば僕らは宇宙のJAFを目指しているんです。アメリカでいえばAAA。道路でクルマが故障したら除去しなければいけない。そのためにはクレーンという技術や法整備が必要で、ビジネスとしても成立させなければならない。技術だけでも大変難しいのですが、さらにビジネスモデルと法規制という、3つの課題を同時に解決しながら、総合的にサービスにまで仕立て上げる必要がありました。
滝川 そして来年、ついに世界初の宇宙ゴミの除去が行われる予定です。奇しくもオリンピックイヤー。すごい年になりそう。
岡田 もともと打上げまで7年と決めていたので、オリンピックは偶然なんです。せっかく滝川さんとお話しするのだから、関連するいいストーリーがあればよかったのですが(笑)。
滝川 いえいえ(笑)。7年という期間はどういう理由から?
岡田 宇宙開発の歴史を調べている時に考えました。日本の宇宙開発・ロケット開発の父と呼ばれる糸川英夫博士が、ペンシルロケットという鉛筆のような小さなロケットを開発したのが1955年のこと。それから15年後の’70年に、日本初の人工衛星「おおすみ」が打上げられます。パソコンやスマートフォンもなかった時代に、わずか15年で本格的なロケットと衛星を自前で打上げた。それなら今の時代、半分でやらなきゃと思ったんですよ。
大蔵省からマッキンゼーへ 多様な業界での経験が活きている
滝川 この春には本社も、シンガポールからこちらの東京オフィスに移されました。
岡田 はい。「宇宙空間平和利用委員会」にシンガポールが加盟していないことと、あとはアメリカ、ヨーロッパ、シンガポールという拠点を行き来するのに、日本が一番便がよいので。
滝川 毎月、世界一周くらいの距離を移動されているとか。
岡田 去年は機内で90泊しています。シンガポールは東南アジアでIT企業をやっていたという理由だけなので、思い切って移しました。
滝川 岡田さんは経歴もユニークですよね。大蔵省、マッキンゼー、IT企業に宇宙。転身の振り幅が大きいというか。
岡田 いろいろな経験がすべて集約された感覚がありますね。例えば大蔵省にいたので、政府には何を頼めて、何を頼まないほうがいいのかわかっています。マッキンゼーでは、課題が大きい時にいかに分解してひとつずつ解いていくかという問題解決の基礎トレーニングを受けましたし、資金調達の際も投資家の言語で話せます。IT業界では市場のなかで無数の競合と戦いながらソリューションを考え続けていたので「宇宙ゴミの問題は市場がない」と反対された時に、「なんて爽やかなブルーオーシャンだ」と思えました(笑)。イシューは明確ですし、市場はつくればいいだけですから。
滝川 第1回の打上げ以降はどのような展開ですか?
岡田 そこからは、ビジネスとして全面的に。すでにいろいろなプロジェクトが、各国で同時進行で動いています。
滝川 ゴミは増え続けるわけですものね。除去にかかる予算はどのくらいなのでしょう?
岡田 はっきりとした数字はお伝えできないのですが、これまで論文等では「宇宙ゴミをひとつ落とすのにいくらかかるか」と試算された数字は、だいたい500億円です。私共はその10分の1から100分の1の間でできるように考えています。
滝川 急速に宇宙が私たちの身近になるなか、リスクを取り除き安全を確保してくれる。頼もしいです。
岡田 目標としては、日常的に坦々とゴミを処理し続けるレベルまで持っていきたいです。まずその第一歩に向けて、気を引き締めていきたいですね。
Nobu Okada
1973年神戸市生まれ。東京大学農学部卒業。米国パデュー大学クラナートMBA修了。大蔵省(現財務省)主計局、マッキンゼー・アンド・カンパニー、IT企業等を経て2013年5月にアストロスケールを創業。英国王立航空協会フェロー。国際宇宙連盟委員。世界経済フォーラム宇宙評議会委員。