カンヌデビューから早 20 年余り、生まれ育った奈良で生き、映画を創り続ける河瀨直美さん。 自然も、人の縁も、つなげていくために今何をすべきか、その胸に秘める熱い想いとは。
地元の奈良を舞台に作品を描くということ
滝川 今年の初め、フランスからの帰りの便で『パリ・マッチ』に載っていた河瀨さんの記事を読んだんです。昨年カンヌ国際映画祭に出品された『光』の紹介がメインでしたが、すでに新作『Vision』のお話もあり、そのスピード感に驚きました。
河瀨 主演のジュリエット・ビノシュとは、昨年のカンヌで知り合って意気投合して、すぐに『Vision』の構想が生まれたんですよ。我ながらクレイジーなスケジュールでした。
滝川 『光』も『Vision』も、河瀨さんの故郷であり、現在もお住まいの奈良が舞台です。吉野の森が舞台になるのは、初期の『萌の朱雀(すざく)』以来でしょうか。
河瀨 ええ、「自分の場所」と言える場所に戻り、この30年映画を撮りながら考えてきたことを、すべて表現しました。出し尽くしたので「今年はもう撮らへん」と宣言してます(笑)。ビノシュもとても森に共鳴していて「今ここに来たのは宿命だと思う」と言っていましたね。
滝川 まるで森に導かれているようなめぐり合わせ。
河瀨 そうかもしれない。森はすごいです。水の生まれる、生命の源とも言える場所であり、あらゆるものを包括するような……。吉野は「再生の土地」とも呼ばれて、時の権力者がエネルギーを受けにわざわざ訪れる場所でした。だからみんな森を大切にしていたし、植林業も500年以上続いています。ところが今、その担い手がいなくなっているんです。手入れしなければ山は死にます。いずれ人間も暮らせなくなるのでは、という危機感が高まっていて。
滝川 自然から離れて暮らしていると、自分が「生かされている」ことをつい忘れてしまいますよね。河瀨さんの作品はそういうつながり、人と人、そして自然との関係が深く描かれている印象が強いです。
河瀨 元をたどると、映画の道を目指すようになった頃から問題意識は変わっていないかもしれません。高校時代は特別に映画が好きだったわけではなく、部活のバスケットボールに集中していたんですけれど。
滝川 キャプテンで、全国大会の出場経験もあるんですよね。
河瀨 ふふ。ただ練習で疲れて帰る道すがらでも気づくくらい、古い町並みがどんどん壊されていくんです。ある日、好きだった石垣の路地が急に大きな舗道になっていて、本当にショックで。そこから「大人で力があれば、石垣を残すことができたかな」と漠然と考えるようになりました。でも政治は信用しきれない自分もいたので、直接的な方面でなく、自分が大事だと思うことを形にして伝える手段を選んだんですね。それからずっと、人間が生きていくために必要なものはなんだろうと考えながら、撮ってきた気がします。
滝川 フィクションだからこそ広く伝えられることってあると思います。ドキュメンタリーは届く人には強く届くけれど、広がりにくい傾向もあるから。
河瀨 ただ最近は、映画だけでは世界は変わらないのではとも思います。社会を変えていくのはやっぱり教育しかないと。息子はシュタイナー教育の学校に通っているんですけど、一日中、美術とか運動とか公立学校のカリキュラムと比べたら遊びみたいな授業ばかり。でもそういった経験や体験こそが重要だと思うんですね、2010年から「なら国際映画祭」をスタートしたのも、私なりに次世代、そして地元奈良に少しでも貢献できればと思ってのことでした。
滝川 第5回の今年は、9月20日から5日間の開催ですよね。
河瀨 はい。代理店さんに頼らず手弁当でやっているので、段取りはよくないかもしれないけど、中身の濃さには自信があります。教育に関連した話としては、今年は子供に特化したプログラムをふたつ増やします。夏休みに実際に映画を創る「ユース映画制作ワークショップ」と「ユース審査員部門」。早い段階から映画を通して多様な価値観に触れてほしいなと思って。ベルリン国際映画祭では何十年も続けていることなんですよ、やっと奈良でも実現できます。
伝統の素晴らしさと自由な感覚をつなぐ役割
河瀨 映画祭には、若手育成と同時に、才能の流出を留める目的もあります。奈良は素晴らしい伝統があるのですが、同時に非常に保守的な土地柄ともいえます。例えばLGBTに対する理解も遅れていますし、私は女性で映画なんか撮ってるということで、宇宙人のような扱い。
滝川 ええ? 今もですか?
河瀨 東京との意識の差はそれくらい大きいです。上の世代のおばちゃんたちはすごく応援してくれますし、東京だって先進的な人とそうでない人がいますけれど。すると国際的なビジネス感覚を持つ若者はどんどん外に出てしまいます。それでは、守られてきた伝統が継承されず消えていってしまう。
滝川 森の危機と同じ。
河瀨 そう。外に出るのはいいけれど、戻ってきてほしい。地元に映画祭を根づかせることは、意欲的な若者が戻ってこられる、文化的拠点をつくる意図もあります。いずれ、主催側になってくれたら嬉しいなぁと。
滝川 今、奈良は海外からもかなり注目されていますよね?
河瀨 面白いプロジェクトを持ちかけられることも増えましたよ。ただ地域性という意味では、もうひとつ壁があります。特に神社仏閣は、面白い企画でも、大きな企業がどんなに大金を積んでも、動きません。伝統と人脈を入口にしないと、何もできないんですよ。私だってコネはありませんが、ただずっと奈良にいるので、つなぐ役割が多少でもできればいいなと思って。
滝川 なら国際映画祭でグランプリを獲った監督は翌年、河瀨さんプロデュースで、奈良を舞台にした映画を撮影し、その作品が海外の映画祭で上映されるとか。そういった試みは、地元の方にも喜ばれるのでは?
河瀨 みんな色めき立ちますね。見慣れた景色や自分たちの日常の営みが、国内外の監督の視点で映されることで、こんなに美しいのかと再発見できるから。
滝川 やっぱり、スポットを浴びたら嬉しいですよね。
河瀨 もちろん。誰でもかけがえのない人生で、唯一無二の輝きが絶対にあるのだから。それは表に出る部分だけではありません。私は食をとても大事にしているので、撮影中はロケ弁じゃなく地元のおばちゃんたちに手作り料理を頼みます。おかげでスタッフのアトピーが少し改善したり、なによりおばちゃんたちもとても生き生きするんですよ。みんなで映画を創るんです。
滝川 地元にも、河瀨組の陰の応援団がたくさんいるんですね。
河瀨 その存在は絶対に忘れてはいけないですね。私も20代の頃は東京、もっといえば海外に出たいと思っていました。そのほうが人にもアイデアにもたくさん出会えるだろうと。ただ今は、都会のサイクルや情報量は人間には無理があるんじゃないかと思っています。スピードが速いから、深いものが創れなくなる。情報が多いから競争が激しくなる。さらに基準が「売れるかどうか」になってしまう。
滝川 わかりやすいから……。
河瀨 でも表現ってそれだけではないはず。手間暇かけたぶん、ゆっくり心に浸透していくからこそ、誰かを救ったり、成長させたりする力を持つのだと思うんです。私にとって映画は人生そのもの。1300年続く身近なお手本に倣って、自分の身の丈で、たしかなものを見つめていきたいですね。
Naomi Kawase
生まれ育った奈良を拠点に映画を創り続ける。カンヌ映画祭をはじめ世界の映画祭で受賞多数。「なら国際映画祭」では後進の育成に力を入れる。9 月20日~24日に第5回目を開催。11月23日よりパリ・ポンピドゥセンターにて河瀨直美展が開催。kawasenaomi.com @KawaseNAOMI