2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
伝統的なものづくりを学ぶ石川の旅がスタート!
10月24日、東京から金沢へと移転した国立工芸館が開館した。この移転を機に中田英寿が名誉館長に就任。「肩書だけの“お飾り”になるつもりはない」と、これまで旅を通して培ってきたネットワークをいかして、工芸界を活性化するプランをいろいろ練っているという。そんな縁もあって、11月の旅は石川県へ。加賀百万石の前田家のお膝元とあって、工芸が盛んな歴史と伝統が息づく石川を1週間かけてめぐってきた。
最初に訪ねたのは、加賀市にある九谷焼の名窯・須田菁華窯。初代・須田菁華が1891年に開いたこの窯には、あの北大路魯山人も訪れ、作陶の魅力を知ったきっかけになったといわれている。大正初期、金沢に滞在した魯山人は、加賀料理の魅力を知り、それを盛る器の大切さを学ぶ。そんな彼が料理、素材をもっとも美しく見せる器として刺激を受けたのが初代・須田菁華の作品だったという。山代温泉のなかにある歴史を感じさせる店先には、いまも魯山人の手による「菁華」の看板がかけられている。店内には、美しくもどこか素朴さの残る器が並んでいた。
「よく見てください。同じように見える皿でもひとつずつ違うんです。少しゆがんでいたり、にじみがあったり、指のあとがのこっていたり。完璧につくられたものよりも、むしろ贅沢だと思いませんか。ひとつひとつにちがう味わいを持った器を日々使うのも気持ちいいものですよ」(四代目・須田菁華さん)
1981年に、須田菁華を受け継いだ四代目は、初代の作陶の技術をいまも守り続けている。
「いまはろくろといえば電動が一般的ですが、うちはいまでも“蹴ろくろ”を使っています。焼くのは全部登り窯。蹴ろくろは、明治時代のものをそのまま使っています。これを使うと器の線がやわらかくなるんですよ」(須田菁華さん)
「陶器だといまでも登り窯を使っているところがたまにありますが、磁器で登り窯というのは初めて聞きました」(中田)
「まあ、安定感はありませんよね(笑)。でも焼き物に失敗はないんです。ゆがみやにじみを失敗だという人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。つくり手は少し技術をおぼえると、上手に見せたがります。でも上手く見せようと、機械でつくったような器になったら嘘っぽい。そういうものより、人間の手でつくられた器のほうが料理も美味しく感じられるんですよ」
全国の産地で登り窯が使われなくなったのは、生産の効率性だけの問題ではない。長い時は数日間にわたって薪を焚き続ける登り窯は、その煙が周辺環境に与える影響も大きい。須田菁華窯の店の近くにある登り窯は、外観からはそうと思えないつくりになっている。周辺には温泉旅館が立ち並んでいるが……。
「うちでは年4回窯焼きをします。煙突を特別仕様にして、煙が出ないようにしているんです」
昔ながらの作陶技術を守るために、時代にあわせて新しい無煙の技術を導入する。こだわりと柔軟性のバランスに100年以上続く名窯の強かさを感じた。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/