2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
プロの料理人に寵愛される“日本一の魚屋”
焼津市にあるサスエ前田魚店は、一見普通の“魚屋”だ。店内には、鮮魚はもちろん、刺し身や干物、惣菜が並び、ひっきりなしに地元客が押し寄せる。港町だけあって品揃えは豊富で価格も安い。だが、創業60年のこの店が絶大な人気を誇るのは、品揃えや価格が理由ではない。5代目店主の前田尚毅さんは、国内外の一流料理人から絶大な信頼を得ている「日本一の魚屋」だ。
「物心つく前から母親に背負われて、お腹が空いたら魚の切り身を与えられていました。もちろん醤油なんてつけずにそのまんま。そのおかげで、魚の本当の味をおぼえたのかもしれません。いまだに一番美味しかったのは、幼稚園のときに食べたタコの刺身です。いまでも僕は魚しか食べません。自分が美味しいと思えるものだけを売りたいですからね」(前田さん)
「猫のエサからグランメゾンまで」扱うという店は一般的な魚屋に比べて広いが、バックヤードはその倍以上の広さ。前田さんはたくさんの従業員とともに日々、魚を捌き続けている。
「仕入れてから売るまでが魚屋の仕事ではありません。天気図を見ながらどこでどんな魚が獲れるかを予想し、漁師がどんなふうにその魚を獲ったかを把握し、最適な捌き方や保存方法を考えます。たとえばリールの巻き方ひとつで魚にかかるストレスが変わってくる。いかにストレスを与えずに店やお客さんの食卓に届けるか。それを考えるのが自分の仕事だと思っています」(前田さん)
卸先の飲食店には、自ら足を運び、料理や料理人にあわせた商品を提供するという。
「同じ魚でも料理人によって扱い方が変わります。ただ魚を売るだけでなく、もうひとつ“向こう側”を見ながら仕事をしています」(前田さん)
こういったこだわりの強さは、中田英寿と共通している。中田は、日本酒をいかに味を落とすことなく輸送し、輸出できるか。その方法を模索中だ。
「せっかくいい日本酒を作っても輸送の時点で温度が上がると台無しになってしまいます。海外で日本酒をのむとガッカリすることも多い。蔵からお客さんまで同じ味を提供できないかと考えているんです」(中田)
日本酒なら温度管理が重要だが、魚も同じ。さらに前田さんは、超絶的な技術を持つ。まだピチピチと跳ねそうな大きな平目をおもむろにまな板の上にのせるとあっという間に活き締めして血抜きをし、きれいに身をおろしていく。そのスピードも驚異的だったのだが、このあとさらに驚くことになる。まな板の上においた切り身に、ほんの少しだけ塩をふると、切り身がピクピクと動き出し、まるで汗をかくように水分を排出し始めたのだ。
「この処理をすることで臭みが抜け、新鮮なままの味を楽しむことができます。ただ美味しいというだけでなく、余韻が長いんです。どう捌くか、どのくらい塩をふるかというのは、自分の五感で判断するしかない。これが自分の武器ですから、毎日磨き続けています。1日休むと感覚が鈍って取り戻すのに3日かかります。だから休むわけにいかない。自然と向き合う仕事ですから、毎日毎回100点というわけにはいきませんが、常にそうありたいと思っています」(前田さん)
「人生かけて魚と向き合っている」。そんな言葉が大げさに感じない。こんな魚屋が近所にある焼津の人たちがとてもうらやましく思えた。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/