2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。 今回の旅は2月に訪れた大分県。
旨味があって、後味がスーッと消えるような酒
大分を代表する焼酎といえば「いいちこ」。1979年の発売以来、“下町のナポレオン”のキャッチフレーズで人気となり、印象的な広告やテレビCMでもおなじみのブランドだ。この「いいちこ」を生産する大分県宇佐市の三和酒類を訪ねると、広大な敷地に大きな焼酎蔵が並び、たくさんのトラックが行き交っている。この敷地の一隅にひっそりと建てられているのが日本酒専用の「虚空乃蔵」だ。
「現在は『いいちこ』で知られるようになりましたが、もともと三和酒類は日本酒蔵としてスタートしたんです。当初はなかなか苦戦していたそうで、1974年にまずはワインの生産を開始。その5年後に『いいちこ』の生産を開始したところこれが大ヒットすることになりました」(製造責任者の佐藤貴裕さん)
ここでつくられているのは、伝統の銘柄「和香牡丹」。三和酒類では「いいちこ」がどんなにヒットしても日本酒づくりを絶やさず続けてきた。とはいえ、380名の社員が働く三和酒類のなかで、日本酒担当はわずか6人だけ。だが、2014年にリニューアルされたという酒蔵の設備を見ると、その本気度が伝わってくる。
「いろいろな酒蔵を回って、そのたびにいまどんな設備が欲しいかを聞いてきましたが、そういった最新の設備が全部そろっている感じですね」(中田英寿)
洗米から発酵過程、絞りまで最新の設備をそろえてはいるが、それだけでおいしい日本酒がつくれるわけではない。
「水は地下水を汲み上げたものをつかい、米は地元栽培のものをメインでつかっています。当初は地元向けの普通酒がメインでしたが、現在は純米酒を増やしています。毎年試行錯誤して、自分たちの酒を模索している感じ。いまは2万本程度の出荷量で、とても投資に見合ったものとはいえません。いずれ最低でも10倍までは引き上げたいと思っています」(佐藤さん)
出来あがった酒を中田が試飲する。佐藤さんが緊張した面持ちでそれを眺めている。「目指しているのは、旨味があって、後味がスーッと消えるような酒」だというが……。
「目指している方向はわかります。まだ改良の余地はあると思いますが、とても飲みやすい。いわゆる大手の大量生産の酒とはちがい、こだわってつくっているなというのが伝わってきます」(中田)
三和酒類が日本酒づくりをやめないのも、そこに投資を惜しまないのも、もともと日本酒蔵から始まったという歴史に対する敬意があるからこそだろう。ピカピカの蔵では、若い蔵人たちがいきいきと働いていた。ここから驚くようなおいしい酒が生まれ、「いいちこ」と並ぶような看板商品になる日がいつか来るのかもしれない。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん”の”ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。