2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具
大阪の象徴のひとつ、太陽の塔のすぐ近く。吹田市の万博公園内に大阪日本民芸館がある。1970年に開催された大阪万博のパビリオンとして建設された建物を引き継ぎ、大阪日本民芸館として開館された。1926(大正15)年に柳宗悦や河井寛次郎、浜田庄司らによって提唱された‟民藝運動”。華美な装飾を施した観賞用の作品とは一線を画す、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具が「民藝(民衆的工芸)」。‟美は生活のなかにある”というのは、中田も常々語っていることだ。この大阪日本民芸館は、そんな民藝の西の拠点として建てられた。
学芸員の小野絢子さんの案内で皿や茶碗、花器などが並ぶ館内を巡る。一般的な美術館や博物館なら、作家の高い技術や作品にこめられた哲学、時代背景などを知ることになるのだが、この民芸館を巡っていて感じるのは、ある種の懐かしさ。もちろん柳宗悦や河井寛次郎の作品に直接触れたことはないのだが、昭和の家庭には彼らが作品の参考にしたかもしれない‟日常品”があふれていたんだということがわかる。「こんな柄のどんぶり、うちにもあったなあ」。ずっと昔に母親が近所のスーパーで買ってきたような茶碗や飯碗のルーツ。だからこそなんだか懐かしく、そして親しみがわいてくる。
芸術ではなく民芸。だからこそのよさがある。古伊万里のそば猪口がたくさん並んだ展示を見ていると、とくだん陶芸に興味のない人間でも目を奪われる。全国各地の編み物や染織品が飾られたコーナーに行くと、地域ごとの違いや無名の作り手の技術に驚くこともある。それは‟かつて”、‟どこか”にあったものではなく、いまの自分たちの生活と地続きで、だからこそ見ていて楽しいのだ。
楽しいのは展示だけではない。ゆったりとした雰囲気は散歩をするのにも最適だし、ミュージアムショップに行くと、まさに生活と地続きになった陶器が産地ごとにならび実際に買うこともできる。
「実際に産地に出かけたり、しっかりと相談しながら仕入れをしているので、民芸館ならではのセレクトを楽しんでもらえます」(小野さん)
つかの間のショッピングにいそしんでいると、中田からアドバイス。
「そんなに楽しかったなら東京の民藝館も行ってみれば? 僕は月1回くらい行っているけど、あそこもすごくおもしろいよ」
日本民藝館が駒場にあるのは知っていたが、なんとなく足を運ぶ機会がなかった。こちらは大阪より先の1936年に柳宗悦らが建てたもの。これは行ってみなければ。旅が次の旅につながる。中田英寿はだから旅をやめることができないのだろう。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。