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2020.07.15

【令和2年の祇園さん③】神輿を担ぐ人々の想いを次代に繋げたい

例年ならば、祇園囃子がそこここから聞こえる京都の7月。「京都に夏がやってきた!」と、町に暮らす人が心を躍らせ、皆で「平安を祈る」ときでもある。だが、 新型コロナウイルスの影響で令和2年の祇園祭 (祇園御霊会) は規模を縮小して執り行われることに……。1150年という長い歴史の中でも、異例の形として執り行われる”令和2年の祇園さん”を5回連載でお伝えしたい。 第3回は、熱い想いと誇りを受け継ぎ、神輿渡御を支えてきた三若神輿会会長 近藤浩史氏にお話をうかがった。

令和2年の祇園さん③

祇園御霊会(祇園祭)の発祥は神輿渡御であった

祇園祭の花形は? と問われると「山鉾巡行」と答える観光客が多いかもしれない。けれど、祇園祭の本来の神事は「祈り」であり「神輿渡御(みこしとぎょ)」である、と京都の人は言う。さまざまに変遷してきた神輿渡御を支え、原動力となってともに歩んできた輿会とはどんな存在なのだろう。

貞観11(869)年に卜部日良麻呂(うらべひろまろ)が神泉苑に66本の矛を立て神輿を神泉苑に送ったことが、神輿渡御の始まりとされる。その後、天延2(974)年に東洞院高辻に住む秦 助正(はた・すけまさ)に神託があり、住居を御旅所(おたびしょ ※現在は大政所)とし、中御座(牛頭天王/ごずてんのう)、東御座(八王子)の神輿が大政所の御旅所へ渡御、その後、西御座(婆利采女/はりさいにょ)の神輿が、保延2(1136)年に造られた少将井(しょうしょうのい)の御旅所(二条車屋町)に渡御するようになった。当時、祇園社から御旅所までの神幸祭は6月7日、御旅所から祇園社までの還幸祭は、6月14日だったそうだ。

鎌倉末期、南北朝、室町時代と時代を経るなかで祇園祭も形式を変え、室町時代には下京の町人たちが出す山鉾も豪華絢爛になっていった。

桃山時代、秀吉が御旅所を現在の四条御旅所(寺町四条)一カ所に統一、さらに明治10年以降は、7月17日(神幸祭)、24日(還幸祭)と日程を改め、中御座、東御座、西御座の3基の神輿が渡御することになった。

中御座、東御座、西御座の3基の神輿

「現在は、中御座(素戔嗚尊/すさのおのみこと)のお世話などをする『統領』としての役目を私ども三若台若中(三若神輿会)が担っております。ほか2基は、東御座を四若さんが、西御座を錦さんが担当し渡御いたします」と語るのは、三若神輿会の会長近藤浩史氏。

江戸時代までは、中御座は御厨子処(みずしどころ)・摂津今宮の祇園社とかかわりのある商人が、東御座は四条木屋町下ル船頭町の人々がそれぞれ担いでいた、といわれている。三若台若中に残る古文書「三若文書」によると、文政13(1830)年には三条台若中が西御座の統領を担っていた記述が残っているそうだ。明治5(1872)年に中御座を引き継ぎ、従来の西御座とともに2基の神輿渡御を担当した。明治9(1879)年に西御座を壬生組(みぶぐみ ※現在は錦)に渡し、以来、中御座のみの奉仕に従事する。

「三条台若中は、今でいうところのロータリクラブのような役割を果たしてきた組織で、三条台村(堀川通以西の三条通界隈)の名主や庄屋などが集まり、さまざまな行事を行っていたようです。なぜ、三条台若中が神輿渡御のご奉仕をするようになったのかは定かではありませんが、当時、神輿を担ぐ輿丁(よちょう)の統制を取る必要があり、そのまとめ役を任されたのではないかと思われます」(近藤氏)

輿丁800名の熱意と誇りが神輿渡御の原動力

「現在、三若神輿会には12のみこし会が所属しており、800名ほどの輿丁が登録されています。中心になっているのはこの界隈の氏子のみなさんですが、京都以外の遠方からくる方や、海外からの留学生もいらっしゃいます。なかには、台湾から毎年来られる方もいらっしゃいます。みなさん、神輿を担ぐことに熱意と誇りをもっていらっしゃる。1年中、神輿のことを考え、神幸祭、還幸祭に備えているのです」(近藤氏)

三若神輿会は、今年の神輿渡御神事の縮小をどのように受け止めているのだろうか。

「私どもにも、いろんな声が届いています。できることなら神輿渡御はしたい。担ぎ手のなかには、なぜやらないのかと言う方もおられ、皆が落胆しています。輿丁にとっては、お神輿の日がお正月のようなもの、つまり晴れの日なんです。ただ、今年は世情を鑑(かんが)み関係者と協議の末、人が集まることは自粛することとなりました。社会の状況を見て、許されることをやっていきたいと思います」(近藤氏)

これまでも、応仁の乱や太平洋戦争で神輿渡御が中断されたが、その都度、再開のときにはまた体制を立て直してきた。その原動力は、氏子の祭への信仰と担ぎ手たちの熱い想いがあったからだ。

令和2年の神輿渡御は縮小規模だが、想いは例年と同じ

通常ならば、7月1日の𠮷符入、10日に神輿洗(午前中に宮本組が汲み上げた御神水を中御座神輿に榊でかけて清める。現在は四若が担当)、15日に本殿から神輿へご祭神にお遷りいただく神霊遷(みたまうつし)。

そして17日の神幸祭は、八坂神社から中御座、東御座、西御座の順に出て、それぞれ別のコースで氏子をめぐって御旅所まで渡御。24日の還幸祭は、御旅所から出て、別のコースで氏子をめぐって八坂神社へ渡御し、当日のうちに神輿から本殿に神霊を遷す。28日は、また神輿洗を行い神輿庫に収め、31日の疫神社夏祓祭(えきじんじゃ・なごしさい)で、祇園祭は終わる。

「渡御の途中で担ぎ手などに配るお弁当は『弁当打ち』と呼ばれる伝統的なものです。竹の皮にご飯を四角い型で打ち(置き)、ゴマ塩をかけて梅干しとたくあんを添える。3000食つくって、担ぎ手のほか氏子のみなさんにお配りするんですが、神様の御供をするお弁当ということもあって大人気。三若会所に輿丁が集まってつくり、早朝から氏子の方が受け取りにこられます。我々三若神輿会のみが行なっている伝統の行事です。輿丁たちにとって、このお弁当は力の源です。長時間、神輿を担いで疲れていても、このお弁当を食べると元気になる。本当のご馳走なんです」(近藤氏)

神幸祭、還幸祭で担ぎ手に配られるお弁当

神幸祭、還幸祭で担ぎ手に配られるお弁当

だが今年、神輿渡御の神事は縮小して行われる。7月1日に会所で吉符入は行うが、神輿が蔵から出されることはない。10日に神輿蔵で神輿洗(みこしあらい)、15日に神輿庫で神霊遷(みたまうつし)、17日に神霊渡御。神霊を遷した榊を以て御旅所に渡御するのだ。24日には、この榊が御旅所から大政所、神泉苑をまわって八坂神社まで渡御する。そして7月28日に神輿庫前で神輿洗という予定だ。

粽やお札で人々の心を癒やすお祭りに

「渡御は縮小規模で行われますが、氏子のなかには粽(ちまき)やお札を心待ちにされておられる方もいらっしゃいます。変わらずお配りしないと、皆さまのお気持ちに添えません。今年はご寄付をいただかないので経済的には厳しいけれど、新型コロナに打ち勝ちましょうという意思を込めて、粽やお札をお届けしたい。観光の方々も、この夏は寂しい想いをされるかもしれませんが、神社も含めて何かしら新しいことを試みることで、先に繋いでいけると信じています」(近藤氏)

粽は1年かけて農家も方々がつくられることもあり、それを無駄にはしたくないと話す。

「神輿渡御について」「神輿会がどんなことをしてきたか」などの話を、学校などで講演し、語り継ぐことも自分たちの務めだという近藤氏。今は「心をひとつにする」ことが、新型コロナ退散への何よりの祈りになると言う。

神輿渡御を催行できない辛さ悔しさなど彼らの痛みを、氏子や京都の町衆が理解し分かち合うことが、祇園祭を今後へ繋ぐ機動力になるのかもしれない。

TEXT=中井シノブ

COOPERATION=八坂神社中御座 三若神輿会

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