第一線で活躍するトッププロが愛用するゴルフクラブや高機能なゴルフウェア。名品の陰には匠の存在がある。
1990年代中盤、増田雄二の名がゴルフ界に轟いたのは、偶然からだった。自動車メーカー出身で、金属加工を知り尽くす増田にとっては、パター製作など朝飯前。あるとき、それまでにないような形を思いつき、試しにつくってみると、評判を呼び、人から人へと伝わった。いつの間にか行きついた先は、日本の第一人者・尾崎将司。尾崎がアレンジを加えた増田のパターは「WOSS」と名づけられ、数多くの尾崎の勝利に貢献した。当然のように、WOSSは他の多くのプロにも波及。市場においても大ヒット作となっていった。
なぜ尾崎に選ばれたのかと問うと、「ジャンボさんは、新しいものとか、人が使っていないものが大好きなんですよ」と増田は笑ったが、もちろん、それだけではないものを増田に感じたのだろう。
「当時、ジャンボさんはメーカーと契約していましたが、結局、ドライバーもお前がやれ、あれもやれとなって、全部関わることになりました」
ウッドやアイアンをつくること自体は、「ゴルフの世界の人以上に僕のほうが金属加工に精通していますから、何も難しいことはありませんでした」とのだが、問題は尾崎が納得するものをつくれるかどうかだった。
「プロの感覚、しかもジャンボさんの感覚ですからね。これはボールが左に行かないような見た目だなとか、これなら弾道を打ち分けるイメージが湧くなとか、そういったことは当然、わからないじゃないですか。それを、ひたすら勉強しました。教えられるものじゃないですから。本当に、数えきれないほどの数をつくりましたね」
言うまでもなく、プレッシャーは半端なものではなかった。それこそ、「家庭を顧みず(笑)、寝る暇もありませんでした」という日々。それでも増田は、「やめようと思ったことはなかったです」と振り返る。
「すべてをゴルフに捧げて、ひたむきに取り組みつづけるジャンボさんの姿が、僕にはものすごくカッコよく見えましたし、喜んでついていこうという気になりました。あまり人の下につくのは好きじゃないんですけどね。もう、やらざるを得ないですよ。同じように、『すごいな、あの人』と思われるくらいにやらないと、超一流の人の横にいる資格はないと、いつも思っていました」
2004年には、マスダゴルフを設立。尾崎をはじめ、多くのプロとのやり取りで培ったノウハウを、一般のゴルファーにも提供するようになった。
“本物中の本物”にずっと触れてきた増田の理念は、他とは一線を画す。
「例えば、スライスする人に、すごいフックフェースのクラブを渡して真っすぐいっても、それは補正であり、永遠にカット打ちは直りません。そうではなくて、あまり変な動きをしないクラブ。補正ではなく、そのゴルファーのポテンシャルを引き出すクラブ。振っていけば、アマチュアでもある程度いいスイングになっていくクラブづくりです」
ならば初心者こそ、マスダゴルフのクラブを使うべきなのだろう。
「よく言われるんです。『増田さんのクラブを使うのが夢なんです。もう少しうまくなったら買いたいと思っています』と。違う違う、早く使わないからうまくならないんだと、いつも言うんですよ(笑)」
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