本誌のエディトリアルディレクターを務める島田 明は、ファッション以外に、仏教美術と現代アートの蒐集家(しゅうしゅうか)としての顔を持つ。そんな島田が思うモノを手に入れることの意味、それに対する自問自答。
それを持つ価値、資格があるかないか
亀井勝一郎著『大和古寺風物誌』を愛読していた高校生の私にとって、天平や平安の仏像たちは、鑑賞し崇拝するだけのモノであった。時を経て、15年ほど前。取材を通じて出会った現代美術作家の杉本博司氏の手解きにより、その対象は鑑賞する側から所有する側に転じることとなる。以来、ファッションを生業にしながら、数多(あまた)の服を買うのと並行し、平安時代を中心とした仏像や塔を蒐集し今にいたる。
こういった仏教美術蒐集の難しさと愉しみのひとつに、相場はあるものの定まった値段がないということがある。由緒ある店には値札など存在せず、店によっては私の求める品は陳列されず、店奥に仕舞われたままだ。
まず店主とゆっくりと会話し、私という人間を理解してもらわねばならない。結果、千年以上の長きにわたり、人々が大切に受け継いできた貴重な品を次の世代、私という人間に託していいものかが店主によって判断される。そこで初めて値段が開示される。初めから値段を聞くのは野暮、そう私は思っている。
足繁く通う店の敷居をまたぐ時でさえ、私は緊張する。しかし、この緊張感がたまらなく好きだ。自分が値踏みされているような、この感覚は古美術の世界でしか味わえない。お金があれば何でも手に入る資本主義の世の中で貴重な体験と言えよう。
モノを手に入れるたびに私自身が自問自答するのが、私自身がそれを持つ価値、資格があるのだろうか、ということだ。服なら浮き立つことなくなじんでいるかどうか、現代美術や仏教美術なら、それにふさわしい知性と品格を備えているかどうか。モノを手に入れた瞬間から、その先に続く鍛錬こそが本当の愉しみ、と私はこの特集を通じて再認識している。
Akira Shimada
雑誌『MEN’S CLUB』で編集者のキャリアをスタートし、『LEON』編集長代理、『Esquire』ファッションディレクター等を経て現職。雑誌以外にも国内外のブランドコンサルティングを行う編集舎を経営する。長年蒐集してきたコレクションはインスタグラム上で、@baronkamiyamaにて公開中。