日本時間2022年5月19日朝、前澤友作氏が所有していたバスキア作品がフィリップス主催のオークションに出品された。その落札価格は8,500万ドル(約110億円)。この作品は、6年前、前澤氏がオークションの場で競り勝った末に手中に収めた作品であり、当時、大いに話題を集めたもの。その作品を手放すというニュースにさまざまな憶測が飛ぶなか、今回のオークション結果が物語る真実とは何なのか? リアルタイムでオークション中継をチェックした鈴木芳雄氏が解説する。 【連載 アートというお買い物はこちら】
もう少し伸びるはずだった!?
6年前の2016年、実業家の前澤友作氏が5,700万ドル(手数料込み。当時のレートで約62.4億円)で落札したジャン=ミシェル・バスキアの作品がニューヨークのオークションに出品された。これはバスキアの活動初期1982年の作品で横5メートル、縦2.4メートルという大作である。赤を基調とした画面の中央にはツノのある悪魔のような顔が描かれているが一説によるとこれはバスキアの自画像だと言われる。
大手オークション会社フィリップスが主催した「20世紀・コンテンポラリーアート部門のイブニングセール」に出品され、オークションはニューヨーク時間5月18日の夜7時(日本時間5月19日の朝8時)から始まった。
出品作品にはロット番号という通し番号が付けられていて、バスキアのこの作品は12番。そのひとつ前の11番は草間彌生《無題(網)》(無限の網)だった。これは草間作品の中でも最も人気のあるものと言っていい。結果は手数料込み落札額1,049万6,000ドル(約13億5,000万円)で、草間作品のオークション最高落札額の記録更新となった。
そしてオークション開始から約40分後、前澤氏旧蔵のバスキアが登場。7,000万ドル(約90億円)という予想落札価格に対して、ハンマープライスは7,500万ドル、手数料込みの落札額8,500万ドル(約110億円)であった。つまり、前澤氏が落札したときの約1.5倍の落札額ということである。
7,500万ドル(手数料を乗せる前の金額)の入札額が提示されてからもまだ入札があるのではないかと、オークショニアはかなりじっくり時間をかけて煽っていた。オークション会社としてはもう少し伸びるのではないかとの予想や期待があったのかとも思えるが、オークション後の記者会見では「満足いく結果だった」とのことだ。
オークションへの出品はコレクターのステータスにつながる
美術品売買とビジネスを簡単に比べることはできないのはもちろんだが、雑な物言いをすれば、為替変動も込みで6年間で、差引これだけの利益を生み出したというのはビジネスだとしたら超優秀である。しかも後述するが、得たものはその差益だけではない。
その前にバスキアとはどんな人物か、彼が描いたこの絵の来歴についてさらっておこう。
1980年代のニューヨークのアートシーンに忽然と現れ、解剖図やコミックなどからモチーフを引用したり、グラフィティ的なタッチで描く絵でたちまち人気アーティストになったジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)。ニューヨークのブルックリン出身。ハイチ系アメリカ人。わずか10年ほどの活動期間に絵画作品1,000点以上、ドローイング3,000点以上を遺し、今も熱狂的なファンを持つ。日本でも世田谷美術館、福岡市美術館などに作品が収蔵されている。
2017年から2018年、ロンドンのバービカンギャラリー、2018年にパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトン、さらに2019年に森アーツセンターでも大規模個展が開催されるなど再評価が高まった。これは前澤友作氏が2016年と2017年にバスキアの作品を落札し、桁外れの金額が話題をさらった直後だ。このことが展覧会を企画させたとまでは言わないが、盛り上がりや動員に一役買っているのは明らかである。
このジャン=ミシェル・バスキア《無題》は2016年5月10日にニューヨークのクリスティーズのオークションセールで当時のレート換算約62億4,000万円で落札された。僕は前澤氏にこの落札について、同年10月発売の雑誌『ブルータス』のアートコレクター特集でインタビューしている。
「オークションのプレビュー(内見会)のときはニューヨークにいて、バスキアは1回見て、うーんってなりました。半日くらい考えて。で、もう1回見せてくれって頼んで特別に見せてもらいました。オークションのときはもうロサンゼルスにいたので電話でビッドしたんです。ネット中継を見ながら。バスキアは最後は一騎討ちでした。アメリカ人だったようです。50(ミリオンドル)近くなったとき相手がだいぶ時間をかけてきた。こっちはじゃあ51って言えば落ちるのかなと。そこで落とせました。もう少し行くのかなとも考えてたけれど。オークションの僕の担当者が電話口で代理でビッドしていて、周りは彼が日本語対応の人と知ってるから、マエザワ来たのかーとわかったでしょう」(『ブルータス』2016年11月1日号「現代アートと暮らしたい!」マガジンハウス)
一般人の感覚からすると、世界中が注目したオークションの場で競り勝った末に堂々入手した作品をこんなに意外にもあっさり手放してしまうことに多少の驚きを持つかもしれないが、アートコレクターにとって特別な作品をオークションに出すことは、作品を高額で入手するのと同じくらい自分のステータスを上げることなのだ。
というのも、オークション会社は良い作品をどれだけ揃えられるかで、注目度や売上を高める。買ってもらって仕舞い込まれる一方ではビジネスとしては片側通行なのである。買ってもらって(落札してもらって)、売ってもらう(出品してもらう)。それを活発にすることで会社も市場も潤う。
前澤氏は今回の出品に際し、こんなコメントを出していた。
「この《Untitled》と過ごした約6年間は、幸せで刺激的な忘れられない時間となりました。アートコレクションとは、自身の成長・変化と共に、常に進化を続け、なるべく多くの人々に共有されるべきものだと信じています。この素晴らしい作品が次の持ち主へと受け継がれ、世界中の人々に楽しんでもらえることを心より願っています」
美術館で展示し、美術愛好者に楽しんでもらうのも「共有」であり、新たな所有者がその作品を得て、そこでまた新たな活用をしてもらうのもまた「共有」である。
お金があるから高くても買い、お金がなくなってきたから手放すとか、そんな単純で寂しい話では全くない。実は買うのも売るのも攻めの一手である。前澤氏がこの作品を約6年所有したことは、どれほどアートワールドで彼のコレクターとしての知名度やステータスを高めたことか。そして多くの著名人やアーティストと親交できたのも事実だ。
同じくアートコレクターのレオナルド・ディカプリオとは電話をする仲になり、アーティストのジェフ・クーンズとはクーンズがエティケットを描いた2010年のムートンロートシルトを飲みながら、たこ焼きパーティをしたとも語っている。ギャラリーでの顧客としてのプライオリティ(優先度)が上がることで欲しい作品が入手しやすくなることもある。
この作品はバスキアの中でもかなり大型の作品になるが、1983年の日本初個展に出品された記録がある。また、1990年、世はバブル。大規模展示施設の幕張メッセで開催された現代美術展「ファルマコン’90」というのがあったのだが、そこにも展示され、そのカタログによると当時の所有者はツルカメコーポレーション(現在は社名を変更している)となっている。
2010年から2011年にパリ市立近代美術館で開催された「Basquiat」展でも展示されていて、僕はその展示を見た。このときのこの作品のキャプションによると所有者はアメリカ人アートコレクターのアダム・リンデマン氏ともう1人の共同所有となっていた。展示室は撮影禁止だったが、この作品はエントランスホールに展示されていて撮影可能だった。
余談だが、この所有者のリンデマン氏は村上隆作品のコレクターとしても著名で、僕はその数年前にニューヨークで彼にインタビューしたことがあった。バスキアの展覧会のキャプションでその名前を見つけたとき、懐かしかった。その次の所有者が前澤氏なのか、間に別のコレクターがいるのかはわからない。
前述の『ブルータス』「コレクター特集」のための前澤氏のインタビューの時点では、オークションでの落札から数カ月が経過していたが、修復とフレームの新調のため、まだアメリカに置いたままだった。その後、日本に移送し、前澤氏の身近な人によると「前澤氏がプライベートで展示して作品と時間を一緒に過ごしたほか、ZOZOの社員さん向けに国内で展示をおこないました」とのことである。
フリー編集者の都築響一氏は『ブルータス』1982年9月15日号「ブルータスのニューヨーク・スタイル・マニュアル」の中でバスキアをアトリエで取材していて、そのときのことを後年、自身のメールマガジンに書いている。
「出会ったときのバスキアはアニナ・ノゼイ(ギャラリー)での初個展を終えた直後で、最初の売り出し価格はたしか1枚2000ドル(約22万円)。そのころソーホーでデビューする画家の標準価格だった。それが1~2年経つと10倍になり、35年後のいまでは100億円・・・というのはどうでもいいが、それからバスキアは日本にも来るようになった。1983年には日本における最初の個展がアキラ・イケダ・ギャラリーで開かれているし、何度か遊びにも、それからイッセイミヤケやコムデギャルソンのモデルとして来日したこともある」(『ROADSIDERS' weekly』2017年12月20日配信号「バスキアの『描かれた音楽』」)
何十億円とか、百何億円とか、ほとんどの人にはこのクラスの美術作品の価格は関係のないものなのだが、作品取引の価格がきっかけで話題になり、再評価が進んだり、展覧会に多くの人が足を運びたくなり、いろいろな形で美術界が活気づくのはいいことだと思うのだ。
オークション落札後の記者会見では、今回のオークションの成功があらためて強調され、また、具体的にピカソ作品の落札を例に取り、顧客が40歳台に若返っていることも報告された。前澤氏がバスキアを今回のセールにかけたことで、彼が地元に建設予定の美術館設立に貢献できたことにも触れていた。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。東京都庭園美術館外部評価委員。