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2024.07.06
年の離れた弟のために尽くした兄。しかし弟は…戦時中の、とある兄弟の話
きょうだい(兄弟・姉妹)といつも比較されて育った。嫉妬や怒り、憧れをおぼえる。特別扱いされていると感じる。きょうだいのために我慢してきた……。少しでも当てはまると思ったあなたは、「きょうだいコンプレックス」を抱えているかもしれません! 精神科医、岡田尊司氏の『きょうだいコンプレックス』の一部を抜粋してご紹介します。
年の離れた弟のために尽くした兄。しかし弟は…
栄造さんには、年の離れた弟がいた。栄造さんは弟思いで、よく弟の面倒を見た。栄造さんがまだ16歳のとき、父親が事業に失敗し、大きな借金を抱えて亡くなったため、栄造さんは学業を断念し、家業を継いだ。それから栄造さんは、一家を養うために必死に働いた。
弟は学業優秀で、栄造さんに大学に行かせてくれと懇望した。まだ戦争前のことで、大学に行くのは、庶民にとってたやすいことではなかった。結婚して、子どももいた栄造さんに余裕などなかったが、学業に励んできた弟の夢を摘んで泣かせることに忍びず、「学費なら、わしが何とかする」と請け合ったのだった。
しかし、それは大きな無理を生むことになる。
家業の上がりだけでは、仕送りの金を賄うことができず、栄造さんと妻は深夜まで夜なべ仕事をして、弟に毎月送る金を工面したのだ。何とか弟を卒業させることはできたが、その無理が祟って、妻は病みつくようになってしまう。肺結核だった。
だが、そんなことを言えば、弟が気に病むだろうと思い、栄造さんは窮状を何一つ知らせず、弟の勉学ぶりをただ喜んでいた。
弟は大学を卒業すると、鉄道省に入省した。国の「生命線」として満州鉄道が大きな関心を呼んでいた頃である。弟は、満州鉄道で、エリートとしてとんとん拍子に出世し、戦争が始まる頃には、多くの使用人のいる豪壮な邸を構え、優雅に暮らす身分となっていた。
その頃、兄の栄造さんは、病気の妻と5人の子どもを抱えて、苦労を重ねていたが、弟は故郷のことなど忘れてしまったかのように、音信さえ途絶えがちだった。
妻の病気が悪いと知らせたときも、一度も帰っては来ず、当時では珍しい高級菓子を送ってきただけだった。栄造さんの妻は、終戦の半年前に亡くなった。
戦争が終わって、満州国は崩壊した。一朝にしてすべてを失った人々が、命からがら満州から引き揚げてきた。弟が実家に帰り着いたとき、女とわかったら強姦されて殺されるというので、弟の嫁は男の恰好をして、顔を墨で真っ黒にしていた。
とにかく無事でよかったと、栄造さんは快く迎え、一家の滞在を受け入れたのだった。終戦直後の食糧難で、家族が食べるのもやっとではあったが、幸い栄造さんのところには、わずかながら耕作する土地もあったので、それで食糧を賄えていたのだ。
弟一家が転がり込んできて、半年ばかりが過ぎたある日、弟が改まった様子で話があると言ってきた。栄造さんと向かい合うと、弟は、再起するのに商売をしようと思うが、元手がいる。ついては、自分の相続分をもらえないかと切り出してきた。
栄造さんは、あっけにとられていたが、やがて激しい怒りが込み上げてきた。
確かに弟も、満州で築いた財産を失くし、心細いことだろう。しかし、弟には学歴もあり、華々しい経歴もある。だが、兄の方は、もっと悲惨な状況にあった。妻を亡くしたばかりで、男手一つで5人の子を育てていかねばならない。頼りにするのは、この体一つと家業のために必要なわずかな財産だ。それを売って、半分寄越せというのか。
烈火のごとく怒った栄造さんは、これまでの辛苦を弟にぶちまけた。そうすれば、弟もきっと納得してくれると思ったのだ。
だが、弟の反応はクールだった。「わかった。もう兄貴には頼まない」と一言のもとに話を打ち切ると、席を蹴ったのだ。
数日後、弟は出ていった。妻の実家を頼り、その近くに家をかまえたのだ。それっきり、2人の縁は途絶えた。
30年越しの思い
弟は、とても優秀な人物だったので、国鉄(現JR)に職を得ると、そこでも出世して、要職を歴任した。訣別から、30年の時間が流れた。
兄の栄造さんは70歳に、弟も60に近づこうとしていた。
きっかけは、弟が妻を亡くしたことだった。栄造さんとは断絶したままだったが、弟から栄造さんの娘にコンタクトがあり、娘が会ってみると、栄造さんとのことがずっと気にかかっている。若気の至りで、自分もひどいことを言ったと思う。できれば、栄造さんに会って謝罪し、和解したいのだという気持ちを吐露したのだ。
心を打たれた娘は、何とか間を取りもちたいと思ったが、栄造さんの怒りはいまだに激しく、弟のことを少しでも話題に出しただけで、気分を害してしまうというありさまだった。栄造さんが受けた傷は、それほど深かったのである。
それでも、弟の方から何度も頼み込まれるうちに、娘も何とかしなければと思うようになり、とうとうその話を切り出してみた。案の定、栄造さんは烈火のごとく憤り、「今さら何が謝罪だ」と、まったく取りつく島もなかった。
再会が実現したのは、それから1年あまりのやり取りが続いた末のことだった。
再会の日は、よく晴れていた。普段通りでいいと言っていた栄造さんも、いつの間にかきれいなワイシャツに着替え、落ち着かない様子で、弟の到着を待っていた。
弟は、背広姿で、自転車を押してやってきた。30年ぶりに、実家の敷居を跨ぎ、「ご無沙汰しています」と入ってきたのだ。
威勢のいい声は、出迎えた栄造さんと向かい合うと、不意に途切れた。
「許してください、兄さん。僕が間違っとった」と頭を下げる弟を見たまま、栄造さんはただ一言、「もうええ。早く上がらんか」と言って弟の手を取った。
手を握ったまま、どちらの目からもただ涙が溢れていた。
それから栄造さんが亡くなるまでの10年余りの間、弟は時々やってきて、よもやま話をして帰った。始終海外旅行に出かけていて、写真を見せながら、栄造さんに見聞したことを話して聞かせるのだ。弟の自慢話を栄造さんは面倒くさそうにもせず、感心したように聞いていた。そうやって弟が甘えてくれることがまんざらでもないのか、弟の優雅な暮らしぶりを他の人にも目を細めて話すのだ。
思いがあったからこそ、裏切られた思いも強かった。しかし、誰だって、本当は人を憎みたくなどない。ましてや、かつては大事な存在であったならば。
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