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2024.05.03
ヒトラーは敗北を勝利に、失敗を成功へとすりかえた
最強にして最悪といわれる3人の独裁者――ヨシフ・スターリン、アドルフ・ヒトラー、毛沢東。彼らの権力掌握術について徹底的に分析した『悪の出世学』(中川右介著)。若いころは無名で平凡だった3人は、いかにして自分の価値を実力以上に高め、政敵を排除し、トップへのし上がっていったのか。その巧妙かつ非情な手段と、意外な素顔が明らかになる……。そんな本書の一部を、抜粋してご紹介します。
画家志望だった青年時代
いまでいうニートだったヒトラーは、一九〇七年、十八歳になると、オーストリアの首都ウィーンの造形美術学校の入学試験を受けた。画家になる夢は捨てていなかったのだ。当時のオーストリアでは十八歳になると父の遺産を自由に使う資格が得られたので、学資の心配もない。
だが、ヒトラーは入試に失敗した。この入試は百十三人が受験し、合格したのは二十八人という難関だった。ヒトラーは一次の「構図試験」は通過した。しかし、描いた作品を何点も持参して審査を受ける二次の「作品試験」で不合格となってしまった。なんでも、建物などの風景画が多く、人物の肖像画がほとんどなかったのがいけなかったという。つまり、作品そのものが劣っていたのではなく、試験の傾向をよく知らなかったためのミスだったようだ。
これは、ヒトラーが言い訳しているのではなく、後世の歴史家が調べた結果だ。ヒトラーが悪人であることは間違いない。ヒトラーはその生涯のすべてが否定的評価となるので、画家としての才能もなかったと決め付けられる。しかし、好き嫌いはあったとしても、画家としての才能はそれなりにあったというのが、美術の専門家から見ての公正な評価のようだ。実際、ヒトラーの絵はそれなりに売れていたのだ。
建築家を志していたヒトラー
不合格に納得のいかないヒトラーは、学長に面会を求めた。すると、「きみの絵から見て、画家には向かないが、建築の分野にははっきりとした才能がある」と言われた。
ヒトラーは学長の言葉で、自分が何をすべきかようやく分かった。建築家になるのだと決意した。しかし、だからといって、そのための勉強をするわけでもない。
ヒトラーは美術学校を不合格になったことを、リンツにいる母に報せなかった。病床にあったので心配させたくないというのがその理由で、それはそれで本音だったのだろう。結局、母はこの年の暮れに亡くなる。ヒトラーは十八歳にして両親を失い、肉親は妹だけになった。実はヒトラーの家は複雑で、父は三回結婚し、ヒトラーは父の三度目の結婚で生まれた子なので、異母兄弟が何人かいる。
母を失ったヒトラーはリンツ郊外の実家を整理し、ウィーンで暮らすことにした。親の遺産があったので、生活には困らず、絵を描いたり、オペラを見たり、本を読んだり、建築の図面を書いてみたりと、優雅な生活を送っていた。
そして翌年も造形美術学校を受験したが、今度は一次で落ちてしまった。
今度も不合格となったのは、建築家になるべき運命にあることを自分に知らせるためだった──と、またも自分に都合のいいように解釈する。
楽天的といえば楽天的だ。前向きともいえるし、プラス思考でもある。ポジティブである。悪くいえば、敗北を勝利に、失敗を成功へとすりかえている。
ヒトラーのこの才能は政権を取ってからも発揮される。どんな失敗も、次の成功のために必要だったことになる。
ヒトラーはこうして過去を改ざんした
ともあれ、画家から建築家へと進路変更した青年ヒトラーは、建築家になるために、美術大学の建築科で学ぼうと考えた。ところが、彼は実科学校を卒業していなかったので、大学入試資格がなかった。そんなことも知らなかったあたりは、世間知らずである。それが「若さ」だといえば、それまでだ。
そこで独学で学び建築コンペに応募して実力を見せつけて建築家デビューするという人生設計を描く。しかし、世の中、そんな甘いものではない。
ヒトラーは美術学校も建築のための大学も諦め、ウィーンで「画家」として暮らすことになった。いまのイラストレーターのように、こういう絵を描いてくれと依頼されて描いていたのだ。それなりに収入はあったらしい。絵を描くかたわら図書館に通い、さまざまなジャンルの本も読んでいた。彼の基礎的教養はこの時期に蓄えられた。また政治への関心もこの時期に芽生えている。
ヒトラーは後にこのウィーン時代を「餓えを友にしていた」と回想するが、これは大げさだ。遺産もあったし、絵が売れていたので、ヒトラーは貧乏ではなかったのだ。また、ヒトラーが下宿を転々とし、ついに下宿代が払えなくなって「浮浪者収容所」に入れられたという話もあるが、これも大げさだ。それはヒトラーが一時的に暮らした「公営独身者合宿所」のことで、ここは清潔で贅沢な施設だった。
ただ、たしかにヒトラーが浮浪者収容所にいたこともある。それは、兵役忌避のためだった。ようするに、身を隠すために、浮浪者になりすまして収容所に入ったのだ。
真っ赤なウソだった立身出世物語
成功した人物のなかには自分の過去を美化する人もいれば、実際より悪く言って、いかに苦労したかを強調する人もいる。ヒトラーのウィーン時代は、そんなに悲惨ではなかったというのが、いまでは定説となっている。
「伝説」を作るためには過去を改竄するわけだが、その場合、まったくのでっち上げではなく、部分的には真実であるほうが信じられやすい。美術学校に入れなかったこと、浮浪者施設にいたことなどは、本来は隠したい経歴だが、それを隠さず、あえて自分を惨めな境遇としてしまう。そして成功してからの輝きとコントラストをつける。
自己宣伝にはこういう方法もあるのだ。
全ドイツ人が、そして全世界の人々が、ヒトラーは極貧から身を起こしたという立身出世物語を信じた。
ヒトラーはウィーンでの「画家」時代を「苦悩と修業の時代」と後に語り、いかに自分が苦労したかを強調する。それは巧妙な、ウィーン、すなわちオーストリア蔑視の表明でもあった。ウィーンは自分の才能を見抜けない愚かな街だと言っているのだ。
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