2020年、初めて書いた小説『わからないままで』で第52回新潮新人賞を受賞し、デビュー3作目となる『息』が、本年度の三島由紀夫賞の候補作となった小池水音氏。手がけた3作品に共通するのは、身近な人の死といった「喪失」と家族。それらをテーマに書かざるを得なかった小池氏の体験と想いとは? #1
サッカー部の活動が中心だった中高時代
美しい日本語を丁寧に紡ぎ、豊かな表現力で読む者を魅了する作家、小池水音氏。多くの純文学作家がそうであるように、小池氏もまた、幼い頃からかなりの読書家だったに違いない。そうたずねると、「中高時代は部活三昧で、いわゆる文学少年ではなかったですね」という答えが返ってきた。聞けば、中高一貫校時代はサッカー部に所属。強豪校ではなかったものの、高校三年生で引退するまでは、部活に明け暮れた毎日だったという。
「中学に入るまで、サッカーを本格的にやったこともなければ、プロの試合を熱心に観ていたわけでもありません。実は、子どもの時から小児喘息を患っていて、激しい運動ができなくて。アトピー性皮膚炎などもあったので、いつも不全感みたいなものを抱えていました。なぜすぐに息が上がってしまうんだろう、どうして他の子と同じことができないんだろう……と。
幸いにも中学に入学したあたりから治ってきたので、サッカー部に入り、キーパーというちょっと特殊なポジションをやらせてもらっていました。それから引退までは部活中心の毎日です。きっと、みんなと一緒に何かをする、仲間になるという同一感みたいなものを、飢餓的に求めていたんでしょうね。大学進学後、やはりサッカーサークルに所属したのも、似た理由だと思います。何かに所属していたい、理解し合いたい。その方法のひとつがサッカーだったんです」
姉の突然の死を機に人生が激変した
人生が、がらりと変わったのは20歳の時。姉の突然の死がきっかけだった。6歳年が離れている割には、仲の良い姉弟だったというふたり。歌がうまく、CDを出すなどプロとして活動していた時期もあった姉は、小池氏にとって、「自分と似た気質だけど、自分よりも何倍も輝く、太陽みたいな存在感の人」だった。その一方で、成人してからも喘息が治らず、難病にも苦しめられている姉の姿も、身近で見ていたという。
「姉の死を境に、サッカーサークルも、仲間たちとわいわい過ごすことも、なんだかリアリティがなくなってしまった。楽しくないわけではないのだけれど、自分にとってあまりにも遠いものだと感じるようになりました。そのころに出会ったのが本でした。大切な誰かを亡くした人が書いた小説やエッセイ、論文ばかりを国内外問わず、集中的に読みました。そうしたことを研究させてもらえる教授と大学で出会えたことも、今振り返って本当に大きなことだったと感じます」
人の死は、動かしがたい事実だ。けれど、死によって当の本人の口から何も語られなくなってしまえば、その人が実際は何を考え、何を思っていたかは、永遠に正解を得ることができなくなる。「それでは、自分が何を失くしたのかさえ、わからなくなってしまう」と、小池氏。
「自分の身に起きていることを、どう捉え、どう思えばいいのか……。辛いとか苦しいという思いの手前に、そうした気持ちがありました。それはある面で今もまだつづいているのですが、その初期にあった大学時代に、小説やエッセイなどを通して、自分のように、身近な人の死に思いを巡らせる遠い人々の文章に触れていたことは、大切なことだったと感じます」
別れの体験を違う場所に動かさないと前に進めない
姉と弟、苦しみを伴う呼吸器の疾患、身近な人間の死。これまでに手がけた三作品に共通するファクターは、小池氏の半生が投影されている。
「私小説かと言われると、自分としては違う感覚があります。『アンド・ソングス』は、少女が祖母の法要後の宴会で歌うシーンから始まっていて、そのエピソードは姉が実際に体験したことではあるんですが、それを書きたかったというより、そこから広がるものを書きたいというか。
もしも姉が生きていたら、どんな人生を送ったのか。この先どんなことが起こって、それによって、どんな喜びや苦しみがあったのか。姉の人生には、BパターンやCパターン、あらゆる可能性がありえたはずです。もちろんそれらはもう決して生じ得ないものなのだけれど、“ありえたのだ”という自分自身だけが感じる確信が、小説を書く後押しになったと思います」
「死」をテーマに書くことは、姉の死によって小池氏が抱えることになった複雑な気持ちを浄化してくれたのだろうか。
「正直、書くことによって癒やされたとは感じていないですね。……なんでしょうね、副次的に得ているものはあるかもしれませんが、別れを体験したという事実はなくならないし、なくしたいわけでもない。ただ、そのままの形で抱え続けるのは苦しみになると思うので、別の形に置き換えなくちゃいけないとは思っています。扉の前に荷物がたくさん積んであって、それをなくすことはできないけれど、別の場所に動かさないと前に進めない。それに近いかもしれません」
「喪失をテーマにした小説を書くことが、自分同様に辛い別れを体験した読者の荷物を動かすヒントになれば」とも語る小池氏。次回(5月4日公開予定)は、小池作品のもうひとつのテーマである“家族”を題材にした国民的監督と俳優による映画をノベライズした際のエピソードを披露してもらう。