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2023.03.01

フレンチの巨匠シェフ・三國清三の人生の突破術「呼び捨てにしてくれるのは3人しかいない」

フレンチの巨匠、三國清三。2022年12月28日、フランス料理の名店「オテル・ドゥ・ミクニ」をクローズするとともに、上梓した自身の料理人人生を綴った自伝『三流シェフ』が話題だ。貧しい漁村出身で、フランス料理はおろか外食などしたことがなかった少年が、いかにして“世界のミクニ”になったのか。その軌跡をたどる。インタビュー前編。

三國清三シェフ

料理人を志したきっかけは「黒いハンバーグ」

2022年末、多くのファンに惜しまれつつ、一軒のグラン・メゾンが37年の歴史に幕を閉じた。三國清三が1985年、30歳の時にオープンした「オテル・ドゥ・ミクニ」がそれだ。日本国内はもちろんのこと、世界各地からトップシェフをはじめグルマンが押し寄せる日本を代表するフランス料理店である。

北海道・増毛(ましけ)の漁師の家に生まれ、中学卒業後、札幌の米店に住み込みで働きながら、1年間、夜間調理師学校に通っただけの少年が、いかにして“世界のミクニ”になったのか。その経緯は著書『三流シェフ』に詳しい。

三國が料理人を志そうと決めたのは、住み込みで働いていた米屋の賄いでハンバーグを食べた時だった。漁師町の半漁半農の家で育ち、肉を口にするのは年に1回、正月に札幌で働いていた兄が土産に持ってくるジンギスカンだけ。そんな少年にとって、肉の原型をとどめていない、丸い形をしていて黒いソースがかかった食べ物は「今までの人生では味わったことのない、なんとも不思議な絶妙な味だった」。

「ビックリするくらい美味しくて、『旨め、旨め!』を連発していたら、賄いをつくってくれた米屋さんのお嬢さんが『札幌グランドホテルのハンバーグはこんなものじゃない』って言うんですよ。それで心が決まりました。『よしっ、札幌グランドホテルのコックになって、ハンバーグをつくろう!』と」

ところが、三國は中卒ゆえに札幌グランドホテルの入社試験を受ける資格がない。そこで三國がとったのは、厨房で権限を持っている人に直談判するという方法。夜間調理師学校卒業記念行事で同ホテルにテーブルマナー研修に訪れた際、研修最後の厨房見学で、先生や他の生徒の目を盗んで一人その場に残り、そこで一番偉い人に見えた料理長・青木靖男に「ここで働かせてください」と直訴したのだ。

なんとも突飛な方法に見えるが、目を輝かせて頼み込む少年に、料理長の青木は社員食堂の調理場という“職場”をパートで用意してくれた。社員食堂のパートタイムの飯炊き。それが、料理人・三國清三のスタートになった。

ダメ元で飛び込むことで道は拓ける

このエピソードをはじめ、三國の“道の切り拓き方”はすこぶるユニークで、「無謀」や「怖いもの知らず」とも言えるものだ。

札幌グランドホテルの後に目指した帝国ホテルでも、パートタイムの鍋磨きとしての採用だったものの、料理の神様・村上信夫の目に留まるべく奮闘。厨房という厨房の鍋を磨くなど身を粉にして働く一方、村上が毎朝各厨房の巡回後にトイレに行くというルーティーンに目を留め、数日に一回、偶然を装ってトイレで挨拶するなど、18歳の青年は知恵を絞って自分をアピールし続けた。

実直な働きと観察力、そして、料理センスを見出され、20歳の時に村上の推薦で駐スイス・ジュネーブ軍縮大使館の料理人になってからも、三國は彼にしかできないやり方で道を切り拓いていく。

「ジュネーブに着いて1週間後にアメリカ大使を招いての晩餐会が開かれることになって、焦ってね。それまで晩餐会なんて言葉を聞いたこともなかったし、本格的なフランス料理やフルコースをつくったこともないんだから(笑)。常駐の通訳の人に『晩餐会って何すんだべ?』と聞いて、ものすごくビックリされましたよ」

三國はそこでも一計をめぐらす。大使夫妻に「引っ越し荷物を片付けるために」と3日間の休暇をもらい、件の通訳を通して、ジュネーブの地元でアメリカ大使行きつけのフランス料理店に研修を依頼。前菜からデザートまで、大使が好きなメニューを完コピして晩餐会に臨んだのだ。

「結果は大成功。アメリカ大使が『日本から来たばかりの料理人がなぜ自分の大好物を知っているのか』と不思議がっていたそうだけど、それは当たり前だよね。だって、行きつけの店から大使の好みをすべて聞いて、食材の仕入れ先まで教えてもらったんだもの」
 
三國の“その後”を決める天才シェフ、フレディ・ジラルデとの出会ったのもジュネーブ滞在中のことだ。もっともジラルデの噂を耳にした三國が、なんのツテも持たないまま店に押しかけ、「なんでもやるから働かせてくれ」と弟子入りを志願。一日中店の外に立ち、じっと動かない三國にジラルデが怒り半分、呆れ半分で招き入れてくれた……という、またもや無謀な賭けの結果ではあったのだが。

「勝算なんてまるでなくて、ダメ元ですよ。やってみてうまくいかなければ、また別の方法を考えればいいだけだもの。まぁ、けっこう勝率は高い方だと思いますけどね(笑)。もともと僕は何者でもないところから始まっているから、失うものなんて何もない。『失敗したらどうしよう』なんていう怖さも、まったく感じていませんでしたね。自分で言うのもなんだけど、逆境に強いんですよ。むしろ、逆境がないと、へなっと怠けてしまうんじゃないかな」

重要な仕事は高額な報酬を要求することで得られる

3年9ヵ月に及ぶ駐スイス・ジュネーブ日本大使の料理人時代、休日を利用して「ジラルデ」で働いた三國はその後、正式に「ジラルデ」で働くことになる。1年半という期限の労働ビザが切れた後、ジラルデの“お墨付き”をもらった三國は、フランスの三つ星レストランに職を求めた。「トロワグロ」にはじまり、「オーベルジュ・ドゥ・リィル」、「ロアジス」、「アラン・シャペル」。きら星のごとき名店ばかりである。

誰のもとで働いたかは、料理人にとっていわば履歴書。「ジラルデと一緒に仕事をしていたなら」「トロワグロにいたなら」と、働いていた店が実力の証明となり、次の店の門戸を開く通行手形となる。ゆえに、「給料はいらないから働かせてほしい」と頼み込む料理人も少なくないが、三國は高額なギャランティを要求した。

「日本では、お金に執着するのはみっともないという考え方もあるけれど、ヨーロッパは別。自分の働きに見合った報酬をしっかり要求しなければ、重要な仕事を任せてもらえないんですよ。雇う側にしたら高い給料を払っているんだから、それなりの仕事をしてもらわないと困るでしょう? その反対で、給料は要らないなんて言ったら、プロとしての腕に疑問を持たれてしまいます。僕は、フランス人と比べてもけっこう良いお給料をもらっていました。もっとも、全部自己投資で食べ歩きに使ってしまったから、28歳で日本に帰国した時は、ほぼ一文無しだったけれど(笑)」

自分の料理をつくることしか考えなかった

いくつもの三つ星レストランで腕を磨いてきた三國の評判は日本にも轟いていた。「すごいシェフが帰ってきた」と評判になり、オーナーに熱望されて東京・市ヶ谷に開店した「ビストロ・サカナザ」の料理長に就任する。

そこで出したのは、これまでにない挑戦的なフランス料理。アラン・シャペルのもとで働いていた頃、自分の料理を「セ・パラフィネ(洗練されていない)」と指摘されて以来、ずっと心をとらえていた「日本人としてフランス料理をつくる」ことを、三國はこの店で実現しようとしたのだ。

とがった料理を出す店に、とがった人々が集う。「ビストロ・サカナザ」はたちまち予約が取れない人気店になったが、1年8ヵ月後、オーナーと大喧嘩して突如クローズする。

「今思えば、当時の僕はめちゃめちゃだった。自分の味を命がけで追求するがゆえに、店に泊まり込んで料理をつくり、思うように動いてくれないスタッフを怒鳴り散らし、ダメ出しをする料理評論家たちとやりあって。若気の至りというか、僕が一番とがっていた時期でした。そんな僕をおもしろがって、かわいがってくれた人たちもいたけれど……。そうそう、見城さん(幻冬舎社長)とはその頃からの付き合いなんですよ。僕のことを『ミクニ』と呼び捨てにしてくれるのは、今はもう、見城さんを含め3人しかいなくなっちゃいましたね」

▶︎▶︎後編「70歳目前! “世界の三國清三”の新たな挑戦。『燃え尽きたと思えるその日まで、料理人であり続けたい』」は3/2(木)公開

三國清三/Kiyomi Mikuni
1954年北海道増毛町生まれ。中学卒業後、札幌グランドホテル、帝国ホテルで修行し、駐スイス日本大使館ジュネーブ軍縮会議日本政府代表部料理長に就任。名だたる三ツ星で腕を磨き、1985年、オテル・ドゥ・ミクニを開店。2015年、日本人初となる仏レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ受章。世界各地でミクニ・フェスティバルを開催するなど、国際的に活躍。2013年、フランソワ・ラブレー大学より名誉博士号を授与される。2020年にYouTubeチャンネル「オテル・ドゥ・ミクニ」をスタートし、登録者数40万人を超える人気チャンネルに。子どもの食育活動やスローフード推進などにも尽力している。

三國清三シェフの著書『三流シェフ』

『三流シェフ』
¥1,650 幻冬舎
料理人人生50年を超えた三國シェフが、“鍋磨き”を皮切りに、滾る情熱と知恵、時に型破りな手法で切り拓いてきた半生。「何者でもなかった」少年が、もがきながら“世界のミクニ”へと昇り詰める軌跡に、心が震える。

TEXT=村上早苗

PHOTOGRAPH=片桐史郎(TROLLEY)

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