人間の限界に挑戦するアスリートたち。肉体と精神をギリギリまで戦い続けるからこそ見える世界がある。競技はもとより、その裏側で起こっている人生の一端に迫る不定期連載「心震えるアスリートの流儀」。今回は羽生結弦の本質について。【過去の連載記事】
「一つとして同じ演技が存在しないんです」
人には、今この瞬間を大事にしたいと心から願う大切な時間がある。「今」しかできない、「この場所」でしか体験できない――。人生の時間軸の中で、決して戻ることのできない今を意識してしまう瞬間が訪れる。
フィギュアスケート男子で伝説的な記録と記憶を刻んだ羽生結弦は、プロになった。2022年11月からスタートさせた単独のアイスショー「プロローグ」から新たな挑戦が始まった。
11月4日の横浜公演初日。羽生はマイクを握り、ぴあアリーナMMの観客に語りかけた。
「フィギュアスケートって、一つとして同じ演技が存在しないんです」――。そして続けた。「リアルタイムで羽生結弦というドキュメントを見ていただきたい」。
これまでも、そしてこれからも、数え切れないほどの演技を届け続けていく。その中でも、二度と訪れない一期一会の「今」を大事に見てほしい、楽しんでほしい。きっと、それが自らの演技で最も伝えたいメッセージなのだろう。
羽生は、目の前にある今が二度と経験できない時間だと常に意識する。だからこそ、一瞬一瞬、一日一日が全力だ。競技会でも数々のシーンが刻まれている。
2018年11月のGPシリーズ・ロステレコム杯では当日の練習で右足首を負傷。患部の感覚がないまま意地でフリーの演技を完遂した。「ここまで練習してきたものが凄く重いもの。その成果を少しでも出したいと思った」。五輪連覇者の矜持があった。
2019年12月のGPファイナル。SPとフリーの中日に、自らに刺激を入れるように試行錯誤中の超大技4回転半にあえて挑戦した。「ここで何か爪痕を残したい」。テレビで見た2006年トリノ五輪の氷に体を打ちつけられながら、翌日の4回転4種5本構成というフリーの演技につなげた。さらに「自分にとってのきっかけの地になった」。全力で何かをつかみにいく先駆者としての尊き姿勢があった。
羽生は氷上で演じる自らのプログラムを「この子たち」と表現することがある。心技体のバランス、大会やショーの意味合い、演じる場所や時間などによってさまざまな表情を見せる、生命の宿った存在と捉える。
2022年北京五輪。競技終了後に割り当てられたサブリンクの練習では、心の赴くまま過去の「子たち」を解放した。「僕が今までのスケート人生の中で、落とし物してきたものを全部やろう、今ならできるって思って」。昔の振り付け、思い出を蘇らせながら9曲を舞った。競技人生の詰まった五輪というかけがえのない時間。今しか味わえない演技や感覚を一生忘れないよう、丁寧に演じた。
思い入れのある一つ一つのプログラムが体の深くまで染み込むからこそ、訴求力のある演技ができる。
激動の2022年が過ぎ、年がまた一つ巡った。2023年も、きっと一期一会の「今」を全力で楽しむ羽生がいる。2月26日には異例となる単独での東京ドーム公演「GIFT」、3月には故郷・宮城でのショー「notte stellata」が控える。
「今の自分でスッと刺さるような演技をこれからも目指して頑張っていきたい」。二度と切り取れない人生の今を、全身全霊で見せる。開催規模や表現技法が多様となっても、表現者・羽生結弦が舞うフィギュアスケートの本質は変わらない。