人間の限界に挑戦するアスリートたち。肉体と精神をギリギリまで戦い続けるからこそ見える世界がある。競技はもとより、その裏側で起こっている人生の一端に迫る不定期連載「心震えるアスリートの流儀」。今回は2022年7月にプロ転向を表明した羽生結弦の夢を描き続ける力について。
人生の分岐点で妥協ない選択をし、壁をこじ開け続けた
幼い頃、誰もが人生の夢を思い描く。その夢が叶った先には、どんな未来が待つのか――。人生で最大の目標を達成した後に歩む道のりは、自らを映し出す鏡となる。フィギュアスケートの羽生結弦は、まさに生きる教科書だ。
「19歳でオリンピック出て、23歳でオリンピック出て、両方とも優勝して、辞める!みたいな感じ」。スケートに没頭し始めた羽生少年が思い描いていた「五輪2連覇」。これが競技生活の夢であり、具体的な目標だった。
2014年ソチ五輪。19歳の羽生は、頂点に上り詰めた。その4年後の'18年平昌では負傷を乗り越え、五輪連覇の偉業を達成。23歳で国民栄誉賞を受賞した。
普通の人間であれば、そこで満足するだろう。「本当は平昌五輪獲って(競技を)辞めて、1年間プロになって、しっかり稼いで、みたいなことをちっちゃい頃はずっと思ってたんですけど……」。かつての羽生少年も夢の続きは、漠然としたものだった。
それでも、羽生は競技会のリンクに立ち続けた。「これからは本当に自分のために滑ってもいいのかな」。夢を果たした平昌五輪後は結果への拘りだけでなく、自らの理想の演技を追求。自問自答した中で、スケート人生の「起源」に迫ることから始めた。
かつて憧れた名スケーターたちの演技に胸躍り、それを真似して楽しんでいる自分……。そんな純粋な気持ちに立ち返るため、先人たちへのオマージュも込めた「秋によせて」「Origin」という2つの新曲に挑戦した。世界初の連続技4回転トーループ―3回転アクセルを決めるなど、やってみたい技も突き詰めた。心からの感情に正直になり、スケートへの思いは高まる一方だった。
平昌五輪後は「あんまり勝利への欲がなかったんです」と明かしたことがある。スケーターとしての純粋な楽しさを追っていた。だが、次第に五輪連覇の王者のプライドも刺激されていく。平昌から1年以上が経った'19年3月の世界選手権では準優勝。「スケートやってて勝ちたいなって思ったんですよね、凄い」。勝負の世界に身を置く以上、勝負へのこだわりが再燃するのは自然な流れだった。
どうしたら勝てるのか。勝利への道筋を知り尽くした羽生は、答えを出した。「武器としてのアクセルは早く手に入れなきゃいけない」。かつて思い描いたもう一つの夢、4回転半――。前人未到の超大技へのチャレンジが、現実として浮かび上がった。
ただの独立したジャンプを跳ぶだけでは哲学に反する。目指すは、羽生結弦にしかできない演目に超大技を携えた究極の演技だった。その方向性が定まった国際大会や国内大会で頂点を譲った'19年末。連戦で精神と肉体が「乖離」したボロボロの状態で、平昌五輪でも舞った伝説的プログラム「SEIMEI」をアイスショーで舞った。羽生結弦が羽生結弦の曲を演じる、というごく自然な動作がしっくりきた。
「カバー曲とオリジナル曲じゃないですけど、そのくらいの違いを凄く感じた」。'20年2月の四大陸選手権ではあえて演目を変更し、男子初の主要タイトル完全制覇「スーパースラム」を達成。キャリアの起源からさかのぼった過程が、自身の知らない羽生結弦の可能性に気づかせてくれた。4回転半を加えた唯一無二のプログラム――。夢の続きを描き、その完成にすべての時間を捧げた。
'20年春以降、新型コロナウイルスが世界的に蔓延。羽生は多くのリスクを考慮し競技会への出場を自粛した。指導者や仲間たちが待つ練習拠点のカナダ・トロントにも帰れず、孤独な練習を経験。アクセルの挑戦を放棄してしまいそうなほど絶望の淵に立たされた。だが、その過程があったからこそ、戦国時代に葛藤や苦悩を抱えて戦い続けた上杉謙信を演じるプログラム「天と地と」と出合った。コロナ禍での絶望から光を照らしてくれたピアノの旋律からの着想で「序奏とロンド・カプリチオーソ」も生まれた。夢を描き続けた先にあった残酷な運命すらも受け入れ、自らの演技の表現に落とし込んでいった。
3度目の北京五輪。そこには「プライドを詰め込んだ」羽生がいた。安全策など考えず、生き様を示すようにフリーで4回転半に挑み、回転不足で転倒。それでも、競技人生の全てを乗せた尊いアタックは、大会全体のハイライトにもなった。「報われなかった今は報われなかった今で幸せ」。その道のりを全力で歩んだからこそ、発した言葉だった。
もし平昌五輪で連覇した23歳で、漠然と違う道に進んでいたら――。27歳になった羽生は言う。「あのままの自分だったら、今の自分の努力の仕方だったりとか、自分がどうやったらうまくなれるのかとか、そういったことを感じられないまま終わってしまったかもしれない、本当の意味で終わってしまったかもしれない」。人生の分岐点で妥協ない選択をし、壁をこじ開け続けたからこそ今の羽生がいる。
「今が一番うまいんじゃないかなって思います」。描き続ける夢は形を変え、新たな可能性を与えてくれる。'22年7月。羽生はプロという道を歩み始めた。そこに夢の続きがあると信じて。
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