師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿を紹介する連載「相師相愛」。その貴重な対談の数々をまとめて振り返る。※2016年10月号、11月号、'21年5月号掲載記事を再編。固有名詞や肩書き、年齢等のデータは掲載時のまま
「今年も欧州で」藤原秀次郎×松井忠三 対談
松井 良品計画の社長に就任する直前、会食でお会いしたのが、初めてでした。緊張して行ったのを覚えています。
藤原 静かな方だなというのが最初の印象でしたね。こんなによく喋る人だとは、とても思えなかった(笑)。翌年、社外取締役にお声がけいただいて。
松井 自分の器以上に会社は大きくならない、メンターが必要だと思ったんです。尊敬できる畏敬の経営者に来てもらおうと。それで、飛ぶ鳥を落とす勢いだった藤原さんにお願いしました。経営にまぐれはない。業績が残っているとしたら必ず理由があると思っていました。ただ、しまむらの全取締役に反対されて。
藤原 当時は社長が他社の役員になるのは珍しかった。でも、同じ世界に籠(こ)もっていたらダメだと思っていたんです。とてもいい勉強になりましたね。言いたいことを言わせてもらって。
松井 本質をズバッと突かれました。語録がたくさん残っています。
続きはこちら
「父親代わり?」高岡浩三×松本 晃 対談
高岡 初めてお会いしたのは、2011年でした。
松本 100年くらい前から知っている気がするんですが(笑)。
高岡 外資系トップで長く業績を伸ばす人は、僕のなかでは本物感がありました。だから、憧れの人だったんです。ひょっとして怖い人なんじゃないかと思ったんですが、すごく優しい人で、引き込まれました。
松本 言語が同じなんですよ。ひとつは関西の言葉(笑)。そして、考えていること、やることが似ている。格好つけないし、ズバッと実行する。
高岡 僭越ながら、役員の集まる会にもお招きいただいて。
松本 日本のお菓子業界は勝手に儲からないと思っているんです。そんなことはないのに。
続きはこちら
「雲の上の人だった」岸野 博×片桐幹雄 対談
大学時代に体育会スキー部に所属していましたが、片桐さんは雲の上の人でした。ダウンヒル種目で世界を転戦した日本人は数えるほどしかいません。しかも、全日本のコーチになって、野沢温泉というスキー場を造っていたり、ホテルのオーナーでもある。まさに憧れの人と仕事をご一緒させていただいています。
でも、いかにすごい人だったかを知ったのは、ザルツブルグに滞在していた時。日本人の私を見つけて英語で話しかけてきた現地のおじいちゃんがいたんです。カタギリを知っているか、と。びっくりしましたが、来月会う、と伝えると手紙を託されました。ミキオに渡してくれ、と。この時は、自分が日本人であることが、とても嬉しくなりましたね。
ウインタービジネスは厳しい環境にありますが、そんななかでも片桐さんは思い切った投資を続けられています。スキー用品のメーカーである我々にとっては、本当にありがたい、かけがえのないパートナーなんです。
手ぶらでスキー場に行っても滑れる、というサロモン・ステーションがスタートしたのは、2014年。お互いに社長になった年でした。
続きはこちら