師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿をご紹介。連載「相師相愛」第56回は、スキーでつながったふたり。
アメアスポーツジャパン代表取締役社長 岸野 博が語る、片桐幹雄
大学時代に体育会スキー部に所属していましたが、片桐さんは雲の上の人でした。ダウンヒル種目で世界を転戦した日本人は数えるほどしかいません。しかも、全日本のコーチになって、野沢温泉というスキー場を造っていたり、ホテルのオーナーでもある。まさに憧れの人と仕事をご一緒させていただいています。
でも、いかにすごい人だったかを知ったのは、ザルツブルグに滞在していた時。日本人の私を見つけて英語で話しかけてきた現地のおじいちゃんがいたんです。カタギリを知っているか、と。びっくりしましたが、来月会う、と伝えると手紙を託されました。ミキオに渡してくれ、と。この時は、自分が日本人であることが、とても嬉しくなりましたね。
ウインタービジネスは厳しい環境にありますが、そんななかでも片桐さんは思い切った投資を続けられています。スキー用品のメーカーである我々にとっては、本当にありがたい、かけがえのないパートナーなんです。
手ぶらでスキー場に行っても滑れる、というサロモン・ステーションがスタートしたのは、2014年。お互いに社長になった年でした。まさに野沢温泉は、このコンセプトにぴったりの場所です。サロモンは、初めての方でもうまく滑れる、初めての方用のスキーも開発したりしていますが、リゾートとのつながりはモノを売るのと同じくらい大切になっています。
しっかりしたリゾートとタッグを組んでもらえるのは、本当にありがたいこと。これからも、ビジネスパートナーとして長いお付き合いをよろしくお願いいたします。
野沢温泉代表取締役社長 片桐幹雄が語る、岸野 博
全日本スキー連盟のコーチを長くやっていましたから、おそらくそこで出会ったんだと思います。最初を覚えてないんですよ(笑)。その後、大きなスキーブームをつくってくれたのが、岸野さんたち。何かやれば、新しいことが起こる。そんな夢を追える時代でした。
とにかくスキーが好きな人、という印象があります。その思いが誰よりも強い。野沢温泉に来る時は、いろんな人を連れてきたりしてくれる。でも、仕事の話より、いつもスキーの話をしていますね(笑)。
スキー場は今、とてもグローバル化していて、世界を標準にして考えていかないといけないんです。でも、ヨーロッパに比べて日本はかなり遅れてしまっている。だから、岸野さんと手を取りあってもっともっと頑張らないといけない。パウダースノーや自然が楽しめるロケーションなど、日本の強みもあるんです。グローバルな視点からスキーを見ていくという点で、とても大切な仲間です。
スキーを楽しく滑ること、この楽しいスポーツを日本中に広めるために、いろんなことをやっている。すべてそこにリンクする。もちろん、ビジネスも大事なんだと思いますが、ビジネスから始まらない。心が熱い人なんです。
私が親しくしていた元教え子で、彼の会社の社員が2年前に亡くなったことがあったんですが、その時も社長自ら先頭に立って、しっかり気持ちを込めて対応していて。形だけで済ましたりしない、とても彼らしいなと思いました。
今後もこの業界のリーダーとして、日本を引っ張ってもらいたいと思っています。
Hiroshi Kishino(右)
1959年生まれ。青山学院大学卒業後、サロモンスポーツ販売入社。2003年アメアスポーツジャパン入社。サロモン事業部長を経て、’14年より現職。
Mikio Katagiri(左)
1955年生まれ。オーストリアで学び、アルペンスキーの滑降(ダウンヒル)で2度冬季五輪出場。その後、全日本チームの監督を務めた。2014年より現職。