プロの世界に入り胸に抱き続けてきた2000安打の夢。夢はいつしか目標へと変わり、2021年9月4日、プロ20年目でついに現実のものとなった。常に黙々、淡々と。時には凄まじい集中力で近寄り難いほどのオーラを放つことさえある謹厳実直な野球への姿勢を貫く栗山巧。その陰には18年間ともに歩んだトレーナーの姿があった。怒濤のシーズンを終えた今、その揺るぎなき信念と肉体鍛錬に迫る。後編はこちら
プロ20年目で成就! 2000安打達成
栗山巧にかかわるすべての人が待ち望んだ1本だった。2021年9月4日の東北楽天ゴールデンイーグルスとの一戦。9回一死でこの日4打席目に入ると、元チームメイトの牧田和久が投じたカーブを泳がされながらもレフト前へ弾き返した。一塁に到達した栗山は、キャプテン源田壮亮(げんだそうすけ)から記念ボードを受け取ると、高々と掲げ、スタンドからの盛大な拍手喝采に応えた。埼玉西武ライオンズ生え抜き選手としての2000安打達成は初の快挙である。球団関係者はじめ、敵地にもかかわらず仙台まで大勢のライオンズファンが駆けつけ、歴史的瞬間を見届けた。本人はもちろん、長くライオンズ、そして栗山巧に思いを馳せてきた人々にとって待ちに待った瞬間であった。
「自分のなかでは、2000本目だからといって特別緊張したりはせず、冷静にバットを振れました。でも、打った瞬間から頭が真っ白になって直後の記憶が実はあまりないんです(笑)。’21年中に達成できるんじゃないかという状態でシーズンに入ったのに、開幕直後に怪我で欠場。少しバタバタしたシーズンでしたが、自分のできることを積み重ね、2000安打を達成できた。ほっとしています」
ライオンズひと筋20年。プロ野球という実力がすベての世界で20年現役選手を続けられること自体決して簡単ではないが、さらに栗山は38歳の今も主力レギュラーのひとり。昨季も出場117試合中78試合で、クリーンナップといわれる打線の中軸(打順三、四、五番)を担ったほどチームに欠かせぬ存在だ。長きにわたり活躍し続けていられる秘訣はどこにあるのか。解き明かしていくほどに、野球への一途な想いが見えてくる。
“練習の鬼・栗山”の異名。きっかけは両親の言葉
小学校1年生で野球を始めた栗山。しかし、同時にサッカーもやっていて、実力は本人も自負するほどのものだった。
「今でも、サッカーでもぼちぼちいけたんじゃないかなと思っています(笑)。でも、小学4年でどちらか選ばないといけなくなって。家の近くにグリーンスタジアム神戸があったので、当時のオリックス・ブルーウェーブの試合をよく観に行っていたのが、野球を選んだ一番の理由です。藤井康雄さん、イチローさんなどスター選手が爽やかでとにかくカッコよくて。『プロ野球選手になりたい』と思うようになりました。両親も応援してくれましたが、とにかく『広く浅くはいらない。中途半端だけはするな』とずっと言われ続けてきました」
その教えどおり、誰よりもバットを振った。所属チームの練習が週末のみのため、平日は小学校のグラウンドで来る日も来る日もティー打撃。日が暮れてもクルマのヘッドライトを点けて、徹底的にバットを振り続けた。栗山は“そういう性格なだけ”というが、10代の少年といえば、友達と遊びたい盛り。誘惑はグッと我慢し、ブレることなくまっすぐに野球だけに情熱を傾けた。
そうした少年時代からの努力が実を結び、高校卒業後、ドラフト4位指名でʼ02年に念願のプロ入りをかなえた。
「僕は本当に幸運で、周りの人に恵まれてきた。僕は、あれもこれもと、多くのことを考えるとダメなタイプで。コーチやトレーナーなど、出会う人すべてに恵まれたことがここまでやってこられた一番の理由です」と断言する栗山。
とはいえ、人に恵まれるのは、決して偶然ではない。すべて自分の行いが環境をつくり、人を動かす。いわば自ら手繰り寄せた縁なのである。そのなかで’03年、2年目のオフに出会ったのが、日本におけるパーソナルトレーナーの第一人者、大川達也氏だった。今に至る栗山にとって絶対に欠くことのできない存在だ。まだプロ野球界では球団外部にパーソナルトレーナーと個人契約する選手はほとんどいない環境のなか、大川氏は、当時メジャーリーグで大活躍していた野茂英雄投手のプライベートトレーナーに就き、フィジカル、コンディション面からサポートしていた。
大川氏を紹介してくれたのは、当時の二軍監督・石井浩郎(いしいひろお)氏。まだファーム(二軍)の選手で、身体の線も細かったが、栗山の放つ凄まじい気迫を感じたと大川氏は懐古する。
「紹介されて初めて会ったのは、クリが20歳の時。私と野茂さんのトレーニングにクリが参加したのが最初です。バリバリのメジャーリーガーだった野茂さんとのトレーニングは、想像以上に厳しいものだったと思う。それでも歯を食いしばって必死にくらいついてくる姿は今でも印象に残っています。初対面で本気度が違うと感じた。本当に『プロの世界でメシを食っていく! 』『絶対にやってやる! 』という気迫が漲(みなぎ)っていました。でもそれを実際にやれる選手は、実は何万分の1の確率。でも、彼ならできると信じていました」
埼玉西武ライオンズの仲間が明かす栗山 巧の素顔
キャプテン 内野手 源田壮亮
いつも冷静な栗山選手も2000安打達成の日は緊張
2000安打を達成した瞬間、記念のパネルを持って渡しに行ったのですが、翌日「ゲン、昨日はどうもありがとう」とお礼を言いに来てくれました。達成直後は頭が真っ白だったようで、ニュースの映像を見て僕がパネルを手渡したことに気づいたみたいです(笑)。
外野手 熊代聖人
自分たちに気を遣わせない、栗山選手の気遣いがすごい
誕生日にジャケットをいただきました。明らかにわざわざ買いに行った物なのに「着なくなったからやるよ」と言って渡してくれるんです。ミスをしてしまった時、「お前はお前でしょ。周りを気にする必要はない」とかけてくれた言葉は今でも心に残っています。
捕手 岡田雅利
どんな時も冷静に対処する論理的で頭脳派の先輩
自主トレを一緒にするのですが「今日はこの部分を意識しよう。ここが張っているからこうしよう」など、論理的にアドバイスしてくれて勉強になります。いつも冷静で完璧なのですが、朝起きるのは苦手のようで、たまに練習に遅刻しますがその時も冷静です(笑)。
経営企画部 リーダー 櫻木優帆
2000安打達成企画「栗山 巧の家」に挑戦
栗山選手がプロデュースする一軒家の制作を担当。さまざまなアイデアを出してくれて、PR動画でもユーモア溢れるコメントをいただきました。達成間近のタイミングにも関わらず、「自分にできることは何でもやりますよ」と栗山選手。球団職員冥利に尽きます。
グラウンドメンテナンス 新井悠司
土の感触も重要な要素、毎試合最高の状態を届けたい
スパイクで土を踏む感触をとても大切にしているように感じます。ベストな状態を毎試合提供することが理想なのですが、そう簡単にはいきません。栗山選手はその大変さをわかってくれていて、試合後「今日はよかった! 」と言ってくれるのが最高に嬉しいです。
栗山選手の専属打撃投手 兼 スコアラー 山下 英
練習の時から試合を見据え、日々何かを変えている
私の調子が少し悪く、力を抜いて投げた時に「ストライクに入らなくていいから力を入れて投げてほしい。ピッチャーが置きにいったボールを打つとスイングが変になるから」と言われました。練習の時からあらゆる想定をして、日々試行錯誤を繰り返しています。