まだまだ先行きが見えない日々のなかでアスリートはどんな思考を抱き、行動しているのだろうか。本連載「コロナ禍のアスリート」では、スポーツ界に暮らす人物の挑戦や舞台裏の姿を追う。
力を出せれば勝てるし、出せなければ届かない
手が届きそうで届かない。北京五輪に出場中のスピードスケート日本代表の高木美帆(29=日体大職)は7日に国家スピードスケート場で行われた女子1500mで1分53秒72の2位となり、2018年平昌五輪に続く2大会連続の銀。本命種目で悲願の個人種目の金メダルを逃し「また勝てなかったんだな」と漏らした。
「前回は金メダルを獲れなかった悔しさとメダルを獲れたうれしさが入り交じっていたが、今回は金メダルを逃した悔しさが強い。普段戦っている舞台と五輪は違うことを痛感している」
平昌五輪で0秒20差で敗れたイレイン・ブスト(35=オランダ)に0秒44差で再び屈した。最終15組のアウトスタートで登場。3組前を滑ったブストが五輪記録を0秒23更新するタイムでトップに立っていた。高木美帆は「ブスト選手のタイムは聞こえていたが、それで力んだりとか〝やばいぞ〟という感じはなかった。私が力を出せれば勝てるし、出せなければ届かない。自分にとって大きな要素にはならなかった」と平常心を保った。最初の300mを出場選手で最速の25秒10で通過。果敢に攻めたが、残り3周のラップは全てブストを下回った。
空気抵抗の少ない高速リンクで、世界で唯一1分50秒台の壁を破っている世界記録保持者。今季W杯は3戦全勝で優勝候補の筆頭だったが、五輪本番で落とし穴が待っていた。メダルを視野に入れて臨んだ5日の3000mで6位。4年前の5位を下回り「多少の不安や迷いが出た」と自信が揺らいだ。’15年から師事する日本代表のヨハン・デビット・コーチがコロナ感染で隔離中。3000mのレース後にはLINEで「強い気持ちで1500mに向かうだけだ」と勇気づけられたが、コーチ不在もメンタルコントロールを微妙に狂わせた。
史上3人目となる5種目に出場、13日間で最大7レースを滑る
始まりもブストだった。出場を逃した‘14年ソチ五輪から1カ月後の世界選手権。練習時間が重なり、当時指導を受けていた青柳徹氏(日体大総監督)の指示でブストの後方について滑った。約3周、時間にして、2分足らず。事前に承諾を得ておらず、ブスト本人から「トオル、先に言え!」と青柳氏に名指しでクレームが入ったが、ブレードの操作方法などを間近で学ぶ貴重な経験となった。レース後の公式会見で高木美帆が「私がここまで速くなれたのはブスト選手が前を走ってくれたおかげ」と感謝したのは決して社交辞令ではない。
悲願の個人種目での金メダルを逃したが、通算4個目のメダルは冬季五輪の日本人最多。3個で並んでいた河野孝典、舩木和喜、原田雅彦、葛西紀明、清水宏保、小平奈緒を上回り単独トップに立った。15歳で初出場した’10年バンクーバー五輪は1000mで完走した35選手中最下位に終わるなど完敗。’14年ソチ五輪は日本代表選考会で結果を出せず、出場すらできなかった。雪辱を期した’18年平昌五輪は1000mで銅、1500mで銀、団体追い抜きで金を獲得。3度目の五輪舞台となる今回は日本選手団の主将の大役を担うまで成長した。
レース直後は落胆を隠せなかったが、一夜明けた8日の表彰式では「昨日よりも晴れやかな気持ち。銀メダルは悔しいが、1500mに向けて戦い抜いたことに1ミリも後悔はない」と気持ちを切り替えていた。今大会は日本女子では’88年カルガリー、’92年アルベールビル五輪の橋本聖子、’06年トリノ五輪の田畑真紀に続いて史上3人目となる5種目に出場。今後は連覇の懸かる団体追い抜き、前回銅メダルの1000mに加え、五輪では初挑戦となる500mも控える。
今大会は種目にごとに開始時間が異なるため、食事、サプリメントの摂取時間を細かく設定。13日間で最大7レースを滑る長丁場を戦い抜く体調管理に余念はない。「個人種目に限らず、この舞台で金メダルを取るのはすごく難しい。個人種目とか団体種目に限らず、残りのレースにも懸ける思いは変わらない。いったん気持ちと体を整理して、また向かっていきたい」。2大会連続のメダル量産へ、冬の祭典は続く。