苦楽をともにした仲間、憧れのアートピース。椅子とは座るための単なる道具ではなく、その存在を紐解けば、人生の相棒とも呼べる存在であることがわかる。美術家・横尾忠則さんが愛でる椅子と、そのストーリーとは? 「最高の仕事を生む椅子」特集はこちら!
このソファは絵を描くための前哨戦
「このアトリエは僕にとってのサンクチュアリ。ここに入ったら、自然に〝モード〞に入れるし、描かない日も、絵があることで、安心感を感じられる」
東京・成城にある美術家・横尾忠則さんのアトリエ。成城の森を借景に、大きな窓を開け放てば鳥のさえずりが室内までこだまする。その窓際にある大きな黒いソファは「気がついたらあった」とかで、かれこれ30年近くそこに置かれているという。来客のない日、横尾さんは1日中ここに寝転がって、書き物をしたり、イメージを膨らませたりする。
「そもそも椅子っていうものは、座ると考えさせる機能を持っていますよね。でも絵っていうのは、考えない状態で作業するもの。僕はこのソファで寝転がって、まず〝考えない状態〞をつくって、そこから絵を描きにいきます。そういう意味ではここは絵を描く前哨戦の場。実際に描く時は、キャンバスの横に立ったりしゃがんだり。最近はサイズの大きな作品が多いものですから、悠長に腰かけて描くなんてことはありません」
リラックスした状態をつくるため、アトリエ近くの自宅には、来客用のソファを除いて椅子が1脚もないのだという。
「腰かけると、休息モードでなくて仕事とか、誰かと会話を交わすモードになってしまうでしょう。僕にとっては横たわってものをイメージすることが大事」
以前は連日、編集者やキュレーター、さらにオノヨーコや山田洋次監督など、錚々(そうそう)たる文化人もアトリエを訪れ、この黒いソファに腰かけてきた。しかしパンデミックの間は、すべての来客を断り、ひたすらここでひとり描き続けていたという。
「ここで寝転がるか、絵を描く。その2種類しかありませんでした。コロナのおかげでやっとこのソファが僕のものになったのかもしれません。この期間、かなりの枚数を描きました。今まで一番忙しいと思っていた40代の時よりも、描いています。人生で一番かもしれません」
東京都現代美術館にて『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』開催中
これまで制作してきた作品にマスクをかけるインスタレーション「WITH CORONA」をウェブ上で発表、それだけでも700点近くつくり上げ、さらにこのアトリエで完成させた新作は1年で30点以上。その新作を含む、500作品以上を展示した大規模な展覧会『GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?』も現在、東京都現代美術館にて開催されている。これまでも毎年、新作数点の展示を含む展覧会を行ってきた横尾さんだが、今回の新作は一挙20点。さらに4月まで愛知で行われていたこの展覧会を、自ら大幅にリミックスするなど、パンデミックという期間が、横尾さんの制作意欲を刺激したことが、はっきりとわかる。
「何も描かない日ももちろんありますよ。そういう時もここで寝転がってリラックスをして、夢を見る。夢のなかではいろんな人に会えますよ」
積み上げられた膨大な資料、キャンバスと散らばる絵の具。横尾さんの頭のなかそのものといえるアトリエで、黒いソファは今日も、休息とインスピレーションを与え続けている。
TADANORI YOKOO
1936年兵庫県生まれ。グラフィックデザイナーとして活動したのち「画家宣言」。以降さまざまな作品を発表。東京都現代美術館での展覧会のほか、10月17日まで21_21 DESIGN SIGHTにてカルティエ現代美術財団所蔵の横尾作品を展示した『横尾忠則 The Artists』も開催中。
GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?
会場:東京都現代美術館
会期:10月17日まで開催中
初期の作品から現在の作品まで、20の新作を含む500点以上を集めた自伝的展覧会。