創業社長の共通点とは、なにだろうか。七転び八起きの人生、生死をかけた壮絶なる体験、事業立ち上げの苦労……。それぞれに悲喜交々のストーリーはあるのだが、必ず持ち合わせているのが、物事を0(ゼロ)から1(イチ)へと推進させた経験だろう。連載「ゼロイチ 創業社長物語」では、そのプロセスをノンフィクションライター鈴木忠平が独自目線でひも解く。一人目はスマートエナジー社の代表取締役・大串卓矢。#1「地球の悲鳴を聞く少年」#2「環境保護ビジネスの夜明け」#3「巨大な壁」
執念が伝わる時
「絶対に反対だから、無理だよ--」
東京電力の環境部トップは会うなり、そう言い放った。最後の望みだった細い綱はあっさりと断ち切られた。
大串は言葉を失った。
また何も言えずに跳ね返されるのか……。
あの経団連での失意がよみがえった。
ただ、よく見ると、これまでとは何かが違っていた。
目の前の人物は、言葉とは裏腹に穏やかな表情をたたえていた。「無理だ」と言いながら、大串を追い返そうともしなかった。むしろ反論を待っているようでもあった。
「しかし……」と大串は切り出した。
「もう世界では動いています。日本だけやらないというわけにはいかないんじゃないでしょうか」
そして、かばんから国内排出権取引に関する企画書を取り出すと、その背の高い男に手渡した。相手はA4用紙数枚の資料を広げると、ゆっくりと目を通した。
ゴクリと生唾を飲み込むような時間が室内に流れた。
やがて、相手は顔を上げて、大串を見た。
「なるほど、こういう仕組みかあ……」
その顔に否定の色はなかった。探しものを見つけたような表情をしていた。
資料には、大串のこれまでの知見が詰まっていた。日本経済界が大企業への足枷を嫌うことはわかっていた。だから、ヨーロッパのように排出枠(キャップ)を被らせるのではなく、中小企業が温室効果ガスを削減すれば、その省エネ技術への評価として、大企業が排出権を買うという形にした。
《大企業にとっては義務ではなく、あくまで志高く、中小企業を救うという形にしました。そうじゃないと日本では始められないと思ったんです》
大串は経済優先の現実に尻込みしなかった。それでいて、青臭く理想を追ってきただけでもなかった。そこには理想と現実があった。人類の文明と、この星の環境を両立させるための一歩が記されていた。言い換えれば、大串の執念であった。
「それで、経産省もやりたいんでしょう? これ」
相手はそう言うと、大串を見て微笑んだ。
それが事実上の返答だった。
大串は部屋を辞すと、東電ビルを出た。来たときには訪問者を見下ろしているようだった建物が、どういうわけか、優しく微笑んでいるように見えた。
足取り軽く内幸町の交差点を渡ると、春の陽射しに照らされた日比谷公園の景色が目に入った。
ああ、今日はこんなに良い天気だったのか……。
大串は初めてそれに気づいた。そして空を見ながら、ひとつの確信を得ていた。
このまま人類が発展を続けていけば、やがてこの星には限界がくる。ほとんどの人間が内心ではそう感じているのだ。だが、日々の経済競争の前で、その憂いは後回しにされていく。自分ではない誰かが、その役目をやってくれないかと誰もが考えている。
なぜ経産省の役人が渋い顔をしながらもヒントをくれたのか。
なぜ東電の環境部長が「無理だ」と言いながら、微笑んだのか。
その道理がわかった。
《経団連がダメって言っていることをやろうと考える人間なんて、自分のような無謀な若者しかいなかっただろうと思います。公務員にも会社員にもできないこと。自分は先兵として使われたのかもしれないですけど、それなら喜んでその役目をやろうと思いました》
大串はそのまま経産省に足を向けた。庁舎に入ると、ともにこの日のために準備してきた役人が待っていた。
「東電さんから電話もらいましたよ」
差し出されたその手を、大串はしっかりと握った。その場で、国内での排出権取引の制度づくりについて話し合いを始めた。
どれくらいそうしていただろうか。ひと段落して経産省を出ると、もう陽が傾きかけていた。ひどく長い1日だったような気がした。
来た道を帰っていく。霞が関から外堀通りを渡ると、古い飲食店が並ぶ路地の向こうに細長い八階建てのビルが見えてきた。オフィスのドアを開けると、人影はなかった。当然だ。立ち上げたばかりの会社には、まだ自分ひとりしかいない。その小さな意志が、この日、エネルギー界の巨人を動かしたのだ。
大串は襲ってきた疲労感に身を任せ、そのままデスクに突っ伏すと、誰もいない部屋で眠りについた。いつもより深い眠りだった。
日本で排出権取引の運用が始まったのは、それからまもなくのことだった。
変わること、変わらないこと
--2021年現在、大串のスマートエナジーは200人の社員を抱えるまでになった。事業内容も排出権取引の認証から再生可能エネルギー事業まで幅を広げて、発展してきた。
東京駅の東側、京橋のビルに移転したオフィスで、吉田麻友美は取締役を務めている。
《大串が独立した後、私も監査法人を辞めて、スマートエナジーに移ったんです。環境保護ビジネスの分野で、自分がやろうとしていることを他の人に理解してもらうためには、ものすごく説明が必要なんですけど、大串は説明しなくてもわかってくれる。やりたいことをやるには、それがベストだと判断したんです》
それから多くのことが変わった。地球温暖化はさらに深刻化し、異常気象という形で誰の目にも見えるようになった。一方で、環境問題への取り組みはビジネスとして認知されるようになった。
無口だった大串も、今や創業社長として、交渉や講演に全国を飛び回っている。
《たしかにベンチャーの社長になってから変わりました。連絡やメールなど、会社員だった頃は滞ってしまうことが多かったですし、外部との折衝などもあまり得意ではなかったと思うんですが、経営者になったらそうはいきませんから》
風力発電や太陽光発電の施設をつくる際には、地元住民の理解をもらわなければならない。田舎の公民館に何時間も正座したのは、一度や二度ではない。そうした経験のなかで大串も変化していった。
ただ一方で、変わらないこともある。
《大串がやろうとしていることは変わっていないと思います。使命感というか……。数年前に太陽光発電への投資をしたとき、資金回収が不安定で、自宅を担保にして資金繰りをしていたこともあったようです。周りにはそういうことは言わないから、私も後で知ったのですが……。彼と私たちがやっていることはずっと地球温暖化防止に資するビジネスで、その柱は変わっていません。きっとこれからも変わらないと思います》
たったひとりでオフィスにいたあの日も、環境ビジネスのトップランナーとなった今も、大串は経済発展と環境保護の狭間に立っている。終わりなき戦いを続ける男の耳にはおそらく、少年時代と同じように、今も地球の悲鳴が聞こえている。
終わり
#1「地球の悲鳴を聞く少年」
#2「環境保護ビジネスの夜明け」
#3「巨大な壁」
Takuya Ogushi
1968年生まれ。子供の頃より環境問題に興味を持ち、地球温暖化防止をテーマとして働くことを決意。環境問題に対してビジネスのアプローチで取り組むために、公認会計士となり大手監査法人にて環境サービスを始める。その後、独立し、2007年に「脱炭素をビジネスのチカラで」をコンセプトにしたスマートエナジー社を設立。CO2削減につながる仕組みを考え、それを実現させることに生き甲斐を感じ、現在も社長として奮闘中。
Smart Energy Co.,Ltd.
2021年現在213人の社員が在籍し、CO2ゼロ社会実現に向けて活動。エンジニアが700カ所以上の風力・太陽光発電の運営を担当、ファンドマネージャーが200億円以上の省エネ・再エネ設備を管理、IT技術で15万世帯以上の電気契約をシステム処理する。社員それぞれの持つ技術・知識・経験を力に、脱炭素社会の実現を目指している。公式Instagram
Tadahira Suzuki
1977年生まれ。日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を経験した後、文藝春秋・Number編集部を経て2019年からフリーに。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』。取材・構成担当書に『清原和博 告白』『薬物依存性』がある。'20年8月から週刊文春で連載していた『嫌われた監督〜落合博満は中日をどう変えたのか〜』が、単行本として刊行予定。
制作協力
POD Corporation
「人生に豊かさを。やりたい事、好きな事で成功を収め、社会に還元する」
東京・ロサンゼルス・ニューヨークをベースに社会的影響力の強いスポーツ、Performance & Arts、アントレプレナーの方々と共に、社会に必要とされる新たな価値創造を目指す会社。公式Instagram