PERSON

2021.06.22

スマートエナジー大串卓矢#3「巨大な壁」【創業社長物語】

創業社長の共通点とは、なにだろうか。七転び八起きの人生、生死をかけた壮絶なる体験、事業立ち上げの苦労……。それぞれに悲喜交々のストーリーはあるのだが、必ず持ち合わせているのが、物事を0(ゼロ)から1(イチ)へと推進させた経験だろう。連載「ゼロイチ 創業社長物語」では、そのプロセスをノンフィクションライター鈴木忠平が独自目線でひも解く。一人目はスマートエナジー社の代表取締役・大串卓矢。#1「地球の悲鳴を聞く少年」#2「環境保護ビジネスの夜明け」

スマートエナジー代表取締役・大串卓矢

経団連、経産省、東京電力

2006年春の、ある晴れた午後だった。大串は西新橋にある八階建てビルの一室にいた。掲げられた表札には「日本スマートエナジー」とある。自ら起こしたベンチャー企業のオフィスだった。

こぢんまりとした室内には誰もいなかった。しんと静まり返ったなかでネクタイを締めると、ドアを開けた。

この日、大串には大きな仕事があった。

《東京電力へ交渉に行く日でした。排出権取引を日本でもやりましょうと説得して、賛同してもらうつもりでした。ただ、正直、勝算は薄いと思っていましたが……》

外に出ると都心の街路樹を陽光が照らしていた。季節の眩しさとは裏腹に、大串の足取りは重かった。

外堀通りを北へ渡ると、すぐ霞が関である。いかめしい顔をした行政庁舎が立ち並んでいる一角に経済産業省が見えてきた。

この1年、大串は頻繁にこの建物に足を運んでいた。

《何度も通いました。すでにヨーロッパでは排出権取引が始まっていて、アメリカも動き出していた。日本だけやらないというのは、おかしいんじゃないですか、制度をつくりましょうと訴えていたんです》

会計事務所を辞めてベンチャーを立ち上げたのも、そのためだった。

最初は呆れたような顔をしていた役人も、次第に相談相手となり、やがてヒントをくれるようになった。

「経団連が認めない限り、この国ではできないよ」

大串は、ならばと大手町に向かった。まだその頃は怖れを知らず、失うものもなかった。

経済団体連合会館--日本財界の総本山は、ひたすら四角い窓が並んだ無機質な建物だった。中に入ると、威圧感のある部屋に案内された。ややあって、出てきたのは三本の指に入る幹部だった。

《なぜ、こんな偉い人がいきなり出てきたんだろうと思いました。それぐらい、私とは経験や肩書きに差のある人でした》

大串は不思議に思ったが、最初から経団連の幹部と話せるのは明るい兆しのような気がした。

だが、次の瞬間、その希望はあっさりと握りつぶされた。

日本でも排出権取引を……と言い終わるか、終わらないかのうちに、相手は語気を強めた。

「何を言ってるんだ! いいか。京都議定書というのは、日本にとって不平等条約なんだ」

大手製鉄会社の重役でもあるというその人物は、端から話し合いのテーブルにつくつもりはないようだった。

もし、温室効果ガス削減のために、大手企業に制約を課せば、日本の輸出競争力が落ちる。この国の経済を支えてきた事業に、足枷をはめることなど断じて許さない--相手は一方的に言葉を叩きつけた。反論の時間は与えられなかった。

《議論さえできないような空気でした。まだ20代の若造だった私は、何も言えませんでした……》

登ろうにも、手足をかける糸口さえない巨大な壁がそこにあった。

自らの無力を思い知らされた大串は、とぼとぼと西新橋へ戻った。情けなくて悔しくて涙があふれそうになった。ほとんど折れてしまった心を繋ぎ止めていたのは、この星を守るという根源的な使命感だった。

だから、その足で経産省に立ち寄った。

「経団連、だめでした……」

とりつく島もなかったことを告げると、役人はため息まじりに、最後の可能性を示した。

「東電を説得できれば……、経団連も認めてくれるかもしれない」

東京電力。戦後の電気エネルギー供給の要となり、高度経済成長を支えてきた。環境問題についてロビー活動も行っている業界の巨人を説得できれば、道が開ける可能性はあるという。

それから数ヵ月、大串はどうすれば、この壁に穴を開けることができるかを考え続けた。 

そしてついに、東電ビルに乗り込む日がやってきたのだった。

《あまり希望は持っていなかったんです。またボロボロに言われて終わるのかもしれないと思っていました。排出権取引には、誰も表立って賛成とは言えない空気が当時の日本にはありましたから》

西新橋のオフィスを出る足取りが重かったのは、そういう理由だった。

大串は経産省の建物を横目に見ながら、東へ向かった。陽の光を遮る巨大なビルの谷間をひとり歩いた。

背水の陣

内幸町の交差点までくると、通りの向こう側に東京電力の建物が見えてきた。すぐ横には日比谷公園の景色もあったはずだが、大串の目には入らなかった。ただただ、人々が行き交う大きな交差点を渡るのが怖かった。

これでダメなら、断念するしかないだろう……。

胸に差し迫る思いとともに、日比谷通りを向こう側へと渡った。

ほどなく東電ビルが目の前に現れた。装飾のない灰色の壁が大串を見下ろしていた。どこか訪問者を拒んでいるようにも見えた。

手ぶらで乗り込んできたわけではない。手にしたかばんにはこの数ヵ月、考え抜いた企画書が入っていた。大串はそれを握りしめると、自分を奮い立たせるように正面口を入った。

受付で要件を伝えると、環境部へ通された。広大なフロアには50人ほどが働いていた。その一番奥の、「部長室」へ案内された。ひとつ息をついて、ドアを開けると男が待っていた。見上げるように背が高く、落ち着いた物腰の人物は大串を正面から見据えた。

「排出権取引をやりたいんだって?」

そして、淡々と言った。

「絶対に反対だから。無理だよ--」

不安を抱えながら、ここまで辿り着いた大串の目の前が真っ暗になった。

#4「終わりなき旅」に続く(6月23日掲載)

#1「地球の悲鳴を聞く少年」
#2「環境保護ビジネスの夜明け」

Takuya Ogushi
1968年生まれ。子供の頃より環境問題に興味を持ち、地球温暖化防止をテーマとして働くことを決意。環境問題に対してビジネスのアプローチで取り組むために、公認会計士となり大手監査法人にて環境サービスを始める。その後、独立し、2007年に「脱炭素をビジネスのチカラで」をコンセプトにしたスマートエナジー社を設立。CO2削減につながる仕組みを考え、それを実現させることに生き甲斐を感じ、現在も社長として奮闘中。

Smart Energy Co.,Ltd.
2021年現在213人の社員が在籍し、CO2ゼロ社会実現に向けて活動。エンジニアが700カ所以上の風力・太陽光発電の運営を担当、ファンドマネージャーが200億円以上の省エネ・再エネ設備を管理、IT技術で15万世帯以上の電気契約をシステム処理する。社員それぞれの持つ技術・知識・経験を力に、脱炭素社会の実現を目指している。公式Instagram

Tadahira Suzuki
1977年生まれ。日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を経験した後、文藝春秋・Number編集部を経て2019年からフリーに。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』。取材・構成担当書に『清原和博 告白』『薬物依存性』がある。'20年8月から週刊文春で連載していた『嫌われた監督〜落合博満は中日をどう変えたのか〜』が、単行本として刊行予定。

制作協力
POD Corporation
「人生に豊かさを。やりたい事、好きな事で成功を収め、社会に還元する」
東京・ロサンゼルス・ニューヨークをベースに社会的影響力の強いスポーツ、Performance & Arts、アントレプレナーの方々と共に、社会に必要とされる新たな価値創造を目指す会社。公式Instagram

TEXT=鈴木忠平

PHOTOGRAPH=秦 淳司

HAIR&MAKE-UP=hiro TSUKUI(HAIR),Yosuke Nakajima(MAKE-UP)

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