「服を作り続けることは先生との約束」
NY発の人気ブランド、オーバーコートのデザイナー大丸隆平氏は、20年以上、長さ23センチの女性用の洋裁バサミを愛用している。
「男性用のハサミは、長さ28〜30センチが一般的。小さいと使いづらく、長時間使っていると、指にあたってタコができて痛いんです(笑)。でもこのハサミをずっと使い続けるつもりです」
現在はニューヨーク在住、今世界中のファッション関係者から注目される存在だ。これまで数々のセレブリティが大丸氏の服を愛用し、7年前、当時のミシェル・オバマ大統領夫人が就任式で着用したドレスや、女性初の副大統領カマラ・ハリス氏のスーツを手がけ一躍有名となった。そんな大丸氏が言う。
「彼女との出会いがなければ、僕はいまごろそこらの半グレだったかもしれません」
彼女とは、大丸氏が高校中退後に通った地元・福岡の洋裁教室の杉野ルリ子先生だ。
「高校はやめたけど、やりたいことが見つからなかった。アルバイトをしても長続きしないし、実家はほとんど勘当状態。唯一、楽しかったのが服を作ること。ミリタリージャケットをピンクに染めたり、デニムをリメイクしたりするのが好きだったんです。それで知り合いの古着屋さんの勧めで近所にあった洋裁教室に行くことにしました」
当時60歳を超えていたという杉野先生は、「真っ赤な髪で眉毛がなくてピンクの服を着た」大丸氏を温かく迎えてくれた。
「『男の子が洋裁やるなんてえらいわ』って、裁縫レベルから優しく教えてもらいました。週1〜2回、先生のところに行って、半日一緒に過ごす。ごはんもよく食べさせてもらいました。大人は信じられないと思っていた時期に、自分の心の居場所が見つかったような気がしました」
有名にならなくてもいい。とにかく「継続」する
1年半ほど教室に通うと、先生の勧めで服飾系の専門学校へ。入学すると、学内の賞をもらうまでに実力を伸ばした。
「東京に行ってからも交流は続いていました。賞をもらった服は、福岡に帰って先生と一緒に仕上げたんです」
ファッションブランドへの就職も先生のアドバイスだった。
「僕はすぐひとりでやりたかったのですが、先生が一回社会に出たほうがいいと。それで就職試験を受けて、最終面接が終わった後に、報告の電話をしました。そしたら、『おめでとう』って。まだ受かったかどうかわからないと言うと、『結果はどうでもいいの。最後まであなたが継続してくれたことが嬉しい』と。……でも結局、それが先生からもらった最後の言葉になってしまいました」
2ヵ月後、大丸氏が電話をかけると、男の人が出た。聞けば先生の息子。「母はいま調子が悪くて電話に出られない」。そう聞いたわずか10分後に先生は息を引き取ったという。
「人生であんなに泣いたことがないくらいに泣きました。急いで福岡に帰ったら、家族の方も病院の先生も、みんな僕のことを知っていた。先生が嬉しそうに話していたらしいんです」
愛用のハサミは、杉野先生の形見として受け取ったもの。定期的に手入れをしながらこのハサミを長年使い続けている。
「最後に聞いた『継続する』は、先生との約束だと思っています。だから僕は服を作ることを続けていきたい。有名にならなくてもいい。とにかく続けることが先生への恩返し。そしていつか僕も先生のように、居場所のない若者に居場所をつくれるような人間になりたいです」
ひとりの若者の未来を切り拓いたそのハサミは、これからもきっと活躍し続けるだろう。
OOMARU’S TURNING POINT
16歳 地元の進学校に入学するも自ら中退。洋裁教室に通い始める。
21歳 先生の勧めで就職を決意。日本を代表するブランドでパタンナーとして働き始める。
29歳 ニューヨークに渡り、数々のブランドのクリエイティブを担う。
31歳 NYを拠点とするパターンメーカーoomaru seisakusho 2を設立する。
38歳 自身のオリジナルブランド、オーバーコートを設立。