糸井重里と操上和美は40年来の旧知の仲だ。仕事もプライベートも知っているからこそ見える、操上の真の姿とは?
出会いは1980年代、原宿セントラルアパート
コピーライター(現「ほぼ日」代表)・糸井重里は、写真家・操上和美の本質を「伝道師」だと語る。
「よく見ると世界はこんなに美しく、可愛らしく、カッコいいんだということを発見し、切り取って記録し、時代を超えて伝えてくれる伝道師。膨大な植物の記録を残した“日本の植物学の父”、牧野富太郎のような普遍的でロジカルな目で、人間や人間の生活を見ている。それをずっと続けていられるということは、本当に人間が好きなんだろうなと思います」
ふたりの出会いは、’80年代にまでさかのぼる。ともに、多くのクリエイターが集った伝説の原宿セントラルアパートに事務所を構えていた。
「僕はまだ20代のガキだったけど、操上さんはすでに巨匠でした。同じフロアにスタジオがあったんですが、初めてこの人が操上和美かと認識したのは、アパートの中にあった鉄板焼の店でした。すごく美味しいんだけど、当時の僕にとっては高価だった。でもたまには行くわけですよ。思い切って。するとそこには必ず操上さんがいた。たぶん、毎日のように通っていたんじゃないかな。小さくて地味だけど、注文のたびに味噌汁を作る"最上のふつう"のごはんを食べさせてくれる店。そういうところに通っている大人の男ってカッコいいなと。だから僕の操上さんの第一印象は、美味しいものを食べてる人(笑)。こんな大人になりたいなと思っていました」
初めて仕事を依頼した時のことも憶えている。
「操上さんに頼んでいいのか、わからないような小さなクライアントの仕事でした。恐る恐る聞いてみたら、『僕に撮らせてよ』って。打ち合わせから一生懸命でいっさい手抜きをしない。その姿勢はずっと変わっていません。損得で物事を考えない。長年一緒に仕事をしてきて、“お返し”ができていると思えないけど、いつも気持ちよく仕事を引き受けてくれます」
みんなの面倒を見てくれる兄貴のような存在
操上と仕事しながら教えられたこともたくさんあるという。
「どんな相手にも敬意を持って、礼儀正しく接することがいかに大切か。僕みたいなガキに対しても、操上さんは一歩下りてきて同じ目線で話してくれる。他のスタッフや自分のアシスタントに対してもそうなんです。ふんぞり返っていられる立場なのに、気がつくと腹ばいになってる(笑)。でもだからといって甘えさせるわけではないんですよ。軽みがあって、重みもある。独特の距離感、緊張感があって、完全に相手に楽をさせるようなことはしない。それもまた彼なりの敬意なんだと思います」
最年長のベテランが撮影の現場で誰よりも動き、機材を運ぶこともいとわない。そんな操上を糸井は、「みんなの兄貴のよう」だと語る。
「北海道の牧場で弟たちの面倒を見ていた、そのまんまなんじゃないかな。若い人の可能性を信じ、そのために自分がどう振る舞うべきかを考えている。そういう兄貴を目の前にしたら、こちらも敬意を抱かざるを得ませんよね。ちゃんと敬意で返したいと思う。その敬意の連鎖が続いているから、今でも操上さんと仕事をしたいという人があとを絶たないんだと思います。見習わなきゃと思いますけど、なかなか難しいですよ(笑)」
操上和美を形づくる3つのセンス
1.礼儀と敬意を持つ
「操上さんに『どうしてそんなに若い人に敬意を持てるんですか?』と質問してみたい。彼は『だってみんなすごいじゃない』って答えるんじゃないかな。本当にそう信じて接しているんだと思います」
2.損得で物事を考えない
「申し訳ないなと思うような仕事でも『撮らせてよ』って気持ちよく引き受けてくれますし、クライアントにも真摯。撮影はまさに場面や人物を切り取ってさらっていく! そんな力強さを感じます」
3.美味しいもの、を知っている
「操上さんとロケに行くと必ず美味しいごはんがついてくる(笑)。最近は店で会うことのほうが多いかも。華美ではないけど美味しい店だと思って行ってみると、操上さんに会うことが多いんです(笑)」
Shigesato Itoi
1948年群馬県生まれ。’70年代からコピーライターとして活躍。その後、エッセイスト、作詞家など多方面で才能を発揮。’98年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。日本有数の人気サイトへと育て上げた。現在、「ほぼ日」代表。