世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2011年9月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
どんなに大きな現象であっても、いつも小っぽけなもののなかに再現されるのだ
――『ゲーテとの対話』より
ゲーテには『色彩論』という著書がある。光と色の関係を追求することは、彼が生涯を賭けたテーマのひとつであった。弟子のエッカーマンにも、空がなぜ青く見えるのかということを、ろうそくの炎を使った実験で見せている。そしてこのように語った。どんなに大きなものも、目の前の小さな現象のなかにその原理が現われる。これが自然の偉大さであり、単純さでもあるのだと。
ゲーテの色彩学にはたぶんに誤解が含まれており、科学と言える領域までは到達しなかったのだが、この言葉に関する限り、ニュートリノの観測から宇宙の始まりを知ろうとする現代であっても、誤りはない。宇宙や自然の秘密は目に見えない極小世界にある。
私たちも、また私たちの生涯も自然の産物に違いないのだから、この法則からは逃れられない。一人の生涯は、一日というちっぽけな時間のなかにすでに再現されている。
ならばいっそのこと、生涯のことを忘れる日があってもいいのではないか。人生のことは敢えて語らない。生涯の規模でものを考えることも一切しないというのも、知恵ある人の生き方だ。この先のことを考えて腕組みするより、今日一日を生きる。これのみを方針とする。
では、具体的にどうすればいいのか。
生産的に生きようという人はそうして下さいな。ノルマを決めて邁進するという人もまっすぐイノシシのように突っ込んでいって欲しい。あるいはそうした立派なことからは離れ、空や風とともにのんびりしたいという人は、缶ビールをお供に川辺の散歩でも。
プラス、ここではもうひとつの知恵を。
あなたは生涯を終える時、微笑んでいたいですか? それとも眉間にしわを寄せ、虚空を睨みつけていたいですか?
微笑みを選んだ人。それが生涯のゴールなら、迷うことなく今日出会う人に同じものを、つまり一生分の微笑みを差し上げる。それが照れくさいのなら、胸のなかで微笑みを向けるだけでいい。誰も見ていないので盛大に。わーっと。それだけで、一日の雰囲気が変わってくる。
加えて大事なことは、あなた自身に対しても一生分の微笑みを向けることだ。まじめな人に限って、放っておくと自分をいじめ始める。あなたの一日にはもっともっと喜びがあっていい。
――雑誌『ゲーテ』2011年9月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。