世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2008年7月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
趣味というものは、中級品ではなく、最も優秀なものに接することによってのみつくられる
――『ゲーテとの対話』より
気分や時代によって火照ったり冷めたりするマイブームではなく、生涯を貫くなんらかの意識によって駆り立てられる行為、それを趣味と呼ぶなら、たしかに中級品は相手にしていられない。尊敬と憧れ、発見が続いてこそ、その原動力を維持できるのだし、それがあって初めて貴重な日々を投じることができる。
たとえばわかりやすいところで、寿司の食べ歩きを趣味にするとしよう。寿司を語る以上、値段の高い低いはともかく、これが最高級だという握りも知っておくべきだろう。大間のマグロである必要はない。丁寧に仕事のされた初夏のコハダでいい。それをいただいた時に目を開かれ、海岸線の山の緑までが顔を出し、ああ、この一貫を生み出した日本文化とはなんと奥の深いものだろうと心底思えるなら、投じてきた時間の実りである。もちろん、いつも贅沢はできないだろうから、そこそこの寿司屋で溜飲を下げる時もあれば、たまには回転寿司に入ることもあるだろう。それだっていいのだ。この人は最高のものを知っているので、対象をマッピング(地図化)できる。いわば、寿司の森を知っているわけで、道に迷わず、余裕をもって歩くことができる。
どんなジャンルであれ、趣味を持つなら最高のものを知っておいた方がいい。金は当然かかる。釣り竿しかり、車しかり、焼き物しかり。楽器なんか趣味にしちゃうと大変なことになる。六畳一間にストラディバリウス。一点豪華主義!
お金のない私は、四十を過ぎてから世界中の詩や物語に触れることが趣味になった。このジャンルは、それがたとえノーベル文学賞受賞作家の作品であろうと、利尻のウニをひとつかふたつ握ってもらう程度の額で手に入るし、図書館も使えるので経済的には楽である。もっともこうなると、流行りのものよりは古典に近付いていく。長い時間にわたって人の鑑賞の目に耐え抜いてきたもの。それが古典だからだ。今年はこれを読まないといけませんよという、帯カバーの大袈裟な謳い文句には飽き飽きしていたのでちょうど良かった。
古典だのノーベル文学賞だの、それは権威主義ではないかですって? いえいえ、読み込むのは人類の普遍としてある創造力です。それがまた畑となる。
――雑誌『ゲーテ』2008年7月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。