2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た――。
中田英寿はなぜ旅をするのか?
中田英寿が旅を再開した。
常に国内外を飛び回っている彼だが、"旅"という言葉は、特別な意味を持つ。旅行でもなければ、出張でもない。彼にとって"旅"とは、日本国内を巡る「学びの旅」のこと。2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで足掛け6年半も続いたのがこの"旅"だ。
現役引退後、世界を旅していた彼が「生まれ育った日本という国を知りたい」という思いで始めたこの旅は、当初の「長くても半年」という予定が大幅に延びることになる。その理由は、日本が彼にとって想像以上に興味深い国だったからに他ならない。
農業、漁業、工芸、芸能、日本酒、神社仏閣……500日以上をかけて、2000ヵ所をめぐり、1万を超える人と語り合い、そして学んだ。2015年、彼がJAPAN CRAFT SAKE COMPANYを設立し、日本酒や伝統工芸など日本文化を国内外で普及させる取り組みを始めたのも、この旅がきっかけだ。旅の詳細は、「に・ほ・ん・も・の」プロジェクトとしてウェブサイトや書籍としてまとめられている。
その学びの旅が再開する。前回は、南から順に全都道府県を一筆書きのようにめぐった。今回は、時期ごとにテーマを設定し、それにあわせて各地を旅するという。気になる2019年のテーマは、「日本茶」。長い歴史があり、日本人の生活の近くにあるお茶。でも当たり前のようにそこにあるため、あまり詳しく知ろうという気になれない。かつて全国津々浦々、300以上の酒蔵を訪ねて、日本酒のエキスパートになった中田は、今度は日本茶について探求しようとしているのだ。
史上初の10連休となったゴールデンウィークの真っ只中、中田は佐賀空港へと降り立った。自他ともに認める晴れ男。空には初夏のような青空が広がっている。目指すは、全国有数の茶の産地、嬉野市。室町時代から続く嬉野茶は、"釜炒り"という独特の製法で作られ、濃厚な香りと味わいがあることで知られている。
クルマが嬉野市内に入ると、山々の斜面に美しく整えられた緑の茶畑が広がっているのが見える。町のあちこちにある製茶工場は、休日にもかかわらず真っ白な湯気を吐き出し、香ばしい茶の香りを漂わせている。まさに新茶収穫の最盛期。茶をめぐる旅がスタートしたその5月2日が、今年の八十八夜にあたる日だということを知ったのは、後のことだった。
「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイト に記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍 化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。https://nihonmono.jp/