現・千葉ロッテマリーンズ監督の吉井理人が就任1年目だった2023年に、監督とは何かを考え、実践し、失敗し、学び、さらに考えるという果てしないループから体得した、指導者としてのあり方。選手が主体的に勝手に成長していくための環境を整え、すべての関係者がチームの勝利に貢献できる心理的安全性の高い「機嫌のいいチーム」をつくることこそが重要だと、吉井氏は説く。プロ野球の世界とビジネスの世界に共通する、「強い組織」に必要なリーダーの姿とは。『機嫌のいいチームをつくる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より、一部を抜粋・再編集して紹介する。【その他の記事はコチラ】
栗山英樹監督から得た「軸」の置き方
監督を引き受けるにあたって、こんなことを心に決めた。
「選手のため、チームのため。最終的には、選手が輝けるようにしたい」
コーチ時代は、ピッチャー個々のパフォーマンスを上げることに特化していた。監督になると、チーム全体でそれぞれの個性が生きるように起用しなければならない。この選手はどのように起用したら輝くか、あの選手はどのような場面で起用すれば能力を生かせるか。そんなことばかり考えた。
これは、日本ハム時代とWBCでご一緒した栗山英樹監督の影響が大きい。
栗山監督は、常に選手のことを考えて試行錯誤していた。栗山監督とはコーチと監督の関係が長いので、いつも「そんなことまで頭を悩ますのか」という目で見ていた。参考になることも多く、監督としての私にもっとも影響を与えた人物だ。
とはいえ、日本ハムのコーチ時代の頃に接していた栗山監督は、何か普通と違うことをやる監督に見えることもあった。やや伸び悩んでいるピッチャーに、先発をさせたいと言う。ピッチャー専門の私から見れば、その選手は間違いなくリリーバータイプだった。しかし、可能性があるならやりたいと提案してくる。
「無理だと思いますよ」
私はそう進言した。やるだけ時間の無駄になると当時は思ってしまっていたからだ。
選手のパフォーマンスに関する考えだけでなく、戦略、戦術に関しても当時の野球の常識から外れたことを言われることもあった。
現在では少なくないが、当時は常識から外れていたブルペンデーもそうだ。先発ピッチャーが2回か3回しか投げないことをショートスタートと呼ぶが、そこからリリーバーをつないでいく戦略を栗山監督は、年間を通じてやりたいと提案してきた。
「3イニングぐらいなら、中3日で投げられるんじゃないの」
理論上はそうかもしれないが、それをやってしまうと、1年の途中でチームがもたなくなる。ピッチャーの回復期間は、3イニングと6イニングでたしかに違うが、回数を重ねると同じように消耗していくため、いくら3イニングしか投げなくても中3日、中4日で投げさせるのは選手の故障につながる。
一軍と二軍の入れ替えも、えっと思うような決定が何度もあった。二軍ではほとんど実績が出ていないのに、一軍でそれなりに活躍している選手と入れ替えたこともあった。環境を変えることで、選手を活性化させたいという意図だった。
それがうまくいくケースが今振り返るといくつもあった。
たとえば、中田翔選手(現中日ドラゴンズ)を4番で使い続けたことで、彼は球界を代表するスラッガーに成長した。当初は、ほとんど打てなかった。打線の強弱が死活問題となるピッチャー陣から疑問の声もあった。そもそも、その時点で調子の良い選手を使うという栗山監督のポリシーに反しているのではないかとも思えた。しかし、我慢して使い続けることで、結果的には日本球界を代表する頼もしい選手になった。
これらのケースだけでなく、こちらからすれば絶対に無理と思えるような提案を数多くしてくる監督だった。無茶にも思える提案を思いつくのは、その選手をなんとか活躍させたいという親心から始まっている。むしろ、それは願望かもしれない。
WBCで村上宗隆を野手の中心に据える
しばらく経って、WBCでご一緒した。私がコーチから監督に立場が変わったため、栗山監督を見る角度が変わった。日本代表選手は、みな優れた選手だ。栗山監督でも奇抜な起用はせず、正攻法でいくというのはわかっていた。そのうえで、ピッチャーの起用戦略、打順を決める視点、試合の戦略について、どのような意味があるのか考えながら見ていた。
チームの中心選手を誰にするか。栗山監督はまずそこから考え始めた。ピッチャーについては、ダルビッシュ選手と大谷翔平選手がいたので、この二人になることはわかっていた。一方、イチロー選手のような圧倒的な実績を残している野手がいなかったので、中心を誰にするのか、栗山監督の考えに興味を持った。
「村上を中心にやりたい」
2022年シーズンに三冠王を取った実績があるとはいえ、ヤクルトの村上宗隆選手は23歳(当時)とまだ若い。歴戦のつわものが揃う日本代表で、ほかの選手が受け入れてくれるのか懐疑的だった。
「ゆくゆくは、日本の顔になるような選手にしたい。日本代表だけではなく、日本のプロ野球の今後を考えたうえでのことだ。村上がヤクルトに戻ってからも、そういう選手であり続けてほしい」
栗山監督は、そういう思いで村上選手を軸に据えた。
「だから、調子が良くても悪くても、村上はスタメンから外さない」
この発想は、おおいに参考になった。私も、ピッチャーのローテーションを決めるときは軸になる選手を考えていた。しかし、それはあくまでも「今シーズンは」という前提で考えている。ピッチャーは、毎年調子の変化があるからだ。この選手を長く中心に据えて育てていこう、軸になる選手にしようという発想はなかった。
栗山監督は、選手のことを常に思っている。
その選手がどうやったら活躍できるようになるか。人間としても成長させたい。常にさまざまな可能性を考え、選手のためにその可能性を捨てない。その精神は、監督となった今、私も参考にさせてもらっている。