小学2年生でプログラミング言語を覚え、自らゲームソフトの開発していたOPTiM(オプティム)創業者・菅谷俊二。第2回では、大学在学中に第1回ビジネスジャパンオープンで孫正義から特別賞を受け、23歳でベンチャー企業を起業したその驚きの経歴に迫る。【1回目はコチラ】
農学部で経験したDXの原体験
AIやIoTを活用した産業のDXを進める企業、オプティムの創業者である菅谷俊二は、これまでエンジニアとして数多くのシステムやマシーンの開発を続けてきた。
そんな菅谷だが、高校卒業後は工学部や情報科学部ではなく、意外なことに農学部に入学している。そこには、小学生の頃からゲームソフトの開発などをしていた菅谷ならではの理由があったのだとか。
「今ではAIやVRなどの科学技術が日々進化していますが、当時の情報科学はまだシステム開発などが主な研究対象でした。でも、小学生の頃から基本的なプログラミングはできていたので、情報科学にはあまり興味がなかったんです。
それより大学でしか学べない勉強がしたくて。その頃、世界の大きな潮流として食糧難の問題やバイオテクノロジーが大きく取り上げられていたこともあり、農業への関心が大きかったんです。それで大学で最新の農業技術を学ぼうと思い、農学部に入学することにしました」
そして、佐賀大学の農学部に入学した菅谷は、農作物となる植物などの研究を始めた。しかし、実際の農学部でのキャンパスライフは、それまで菅谷が想像していたものとは大きく異なったという。
「農学部に入学した後、植物工場の研究室に入ることになったのですが、びっくりするくらい辛い毎日が待っていました。当時は、今みたいなセンサー類などが揃っておらず、葉っぱがどれくらい緑になるのかを温室に入って実際に測っていたんです。
でも、佐賀の夏は気温が30度以上になるので、温室の中だと60度を超えたりするんですよ。そこで暑さに耐えながら研究するのは、今考えても非常に過酷なキャンパスライフでした。
その頃は、インターネット元年と呼ばれる時代。世の中は大きく変化しているのに、俺だけ葉っぱの色が変わっていくのを手で測っていていいのだろうか。そう思うようになり、大学を休学することにしたんです」
憧れのキャンパスライフと現実とのギャップに違和感を覚え、佐賀大学を休学することにした菅谷。しかし、そんな農学部での生活が原体験となり、後に農業をDXしようという試みに繋がったのだと語る。
ビジネスジャパンオープンと孫正義賞
その後、大学を休学することにした菅谷は、自らのビジネスを立ち上げるための活動をスタート。大学の友人の間で注目を集めていた経営コンサルタント・大前研一氏主催のビジネスプランコンテスト「第1回ビジネスジャパンオープン」の存在を知ることとなる。
「九州でベンチャー企業を目指す若者たちが多く参加していて、自分も軽い気持ちで応募しました。その時に提案したのが、ファイルをダウンロードしている待ち時間に、企業の動画広告を流す“iCMプロジェクト”というもので。
あの頃のインターネットはダウンロードに時間がかかったんです。それで、音楽ファイルをダウンロードしている間に、アーティストのライブチケットの販売広告などを流したら効果があるんじゃないかと考えました」
結果、菅谷が提案したiCMプロジェクトは、数多あるビジネスプランの中から「孫正義賞(特別賞)」を獲得。授賞式では孫正義氏から直接、表彰賞が授与された。
コンテストの数日後、菅谷のもとには孫正義氏からソフトバンクグループによるiCMプロジェクトの買収の誘いもあったという。しかし、自らの企業を立ち上げたいという思いが強くなっていた菅谷は、その提案に感謝しつつ最終的には断ったのだとか。
「孫正義さんからは、ソフトバンクグループへのジョインだけでなく、数億円のストックオプションをいただけるという話もいただいていて。そのことを親に話したら、『よかったな俊二、そのままソフトバンクに就職させてもらえ』って、第一声で言われたのをよく覚えています。
でも、自らの手でビジネスを進めてみたくて。ビジネスジャパンオープンをきっかけに、企業から新しいプロジェクトの打診などもあったので、失敗してもいいから起業に挑戦してみようと思ったんです」
自身が開発したサービスを世界に届けたい。そう考えた菅谷は、2000年6月に現在のオプティムを創業。ダウンロード中の動画広告サービス“i-CM”などの事業をスタートさせた。
“わからない”をビジネスに
「そんな経緯でオプティムを設立したのですが、最初の内はサービスがなかなか売れず。今ほどネットで動画を見る事が一般的ではなく、さらに企業がテレビ向けにCMとして製作している動画って、著作権などの制限があるんですよ。だから、そもそもネット広告に使える動画がほぼなかったんです。
でも、ネット広告のために動画を制作するにはコストがかかるので、企業もあまり乗り気じゃなくて。それで、ほぼすべての新聞社やテレビ局に行って、広告サービスの営業をしていました」
まだ動画を使ったネット広告が主流ではなかった時代。菅谷は自らさまざまな企業を周り、サービスの概要や効果を説明していた。そんななか、菅谷は広告サービスとは別に、新しいサービスを思いつく。それが2006年に誕生することになるサービス「Optimal Setup」だ。
「その頃、親がパソコンを使い始めていたのですが、操作をよくわかっていなかったんです。そんな親の姿を見てビジネスになるんじゃないかと思い、画面を共有しながら遠隔でパソコンの操作を教える教室を始めたんです。それが予想以上に人気があって。
その時、NTT東日本が光ファイバーを売っていたので、パソコン教室をオプションで販売しませんかと営業に言ってみたんです。でも、NTT東日本からは『教えるのではなく、自動的にメールやルーターを設定できるサポートが欲しい』と言われました。
そこで操作がわからない人のためにAIがルーターを解析して、自動的にパソコンをセットアップできるサービス、「Optimal Setup」を開発したんです。結果、NTT東日本とライセンス契約を結ぶことになり、「フレッツ簡単セットアップツール」として、実際にサービスとして提供されることになりました」
子供の頃からパソコンを使っていた菅谷にとって、パコソンの操作や設定で困ったことはなかった。故に、最初はパソコンの初期設定ができない人が、どこで躓いているのか理解するのに苦戦したそう。
しかし、インターネットが普及すると同時に、サポートサービスへのニーズが高まっていることに気づいた菅谷は、画面共有をしながら遠隔操作でパソコンの問題を解決するサービス「Optimal Remote」を再びNTT東日本に提案。
月額500円ほどでプロの技術者が個人のパソコンを遠隔操作してくれる革新的なサービスは、多くのパソコン初心者からの依頼が殺到。後に企業のスマホやパソコンのセキュリティ管理を自動、あるいは遠隔で管理する「Optimal Biz」の開発にも繋がった。
人々の“わからない”の理由を探し、新しいビジネスのきっかけにしていく。それが、第4次産業革命をリードできる会社作りを目指す、菅谷のビジネス戦略のひとつだ。
※3回目に続く