放送作家に小説家、演出家など複数の肩書を持ち、タレント養成所・NSC(吉本総合芸能学院)の講師としては、授業の評価アンケートで10年連続の人気投票数1位を獲得している桝本壮志さん。前回の記事では芸人放送作家デビューまでの来歴を振り返ってもらったが、今回はそこから離婚などの辛い経験も経て、マルチな活動を展開していった時期の話を伺っていく。今回もビジネスパーソンに参考になる逸話が満載の内容だ。
「どんな仕事も一度は受ける」の精神で、アシカショーから池上彰の番組まで担当
放送作家としてデビュー後の桝本壮志さんは、『笑っていいとも!』(フジテレビ)などのバラエティ番組を中心に仕事を増やし、売れっ子作家への道を邁進。一時はレギュラー番組18本を抱える状態となり、スポーツ番組、動物番組、アイドル番組、クイズ番組、音楽番組まで幅広く担当するようになった。
「水族館のアシカショーの台本を書いたこともありますし、近年はAbemaの『〇〇に勝ったら1000万円』シリーズや『FIFA ワールドカップ カタール 2022』の番組を担当するなど、本当にいろんな仕事をしてきました。
僕が自分に課していることの一つが『2度目は断っていいから、1度目は必ず受け取ってみる』ということ。どんな仕事でも一度やってみないと向き不向きは分からないからです」
そして新しい仕事をきっかけに、また新しい仕事が生まれることも多いという。
「たとえば僕は、高校時代の野球部の先輩からの依頼で、野球のコラムを書きました。それがテレビ番組『鯉のはなシアター』(広島ホームテレビ)につながり、同題の小説も書きました。その小説は映画にもなり、広島国際映画祭2018で『ヒロシマ平和映画賞』を受賞。これも、最初にコラムの仕事を受けてみたことから始まった流れです」
そんな桝本さんの仕事がより広がるきっかけの一つになったのは、2010年の『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』(テレビ朝日)から池上彰さんの番組を担当したことだった。
「僕は元芸人ですし、担当する番組も当初はバラエティが多かったので、声をかけてもらったときは『俺なんかには池上さんの番組は無理やろぉ』と思いましたが、やはり一度受けてみました。そしてやってみると本当に面白い仕事でしたし、社会について学ぶ経験は今もいろんな番組に生きています。
僕は2年前から『サンデー・ジャポン』にコメンテーターとして呼ばれるようになり、2ヵ月に1回ゲスト出演をしていますが、そこで社会問題について自然とコメントが出てくるのも池上さんの番組の経験が大きいんです」
こうした経験から生まれたNSCの生徒へのアドバイスが「初めから専門店を開こうとせず、まずはドン・キホーテ目指そう」というものだ。
「若い子は、主力商品が一つの専門店を開きたがるんですけど、いろんな商品を取り扱ってみたら、いろんな知見が増えていき、出会う人の数も多くなります。仕事・経験・出会う人が増えれば、それぞれを掛け合わせることで新しい仕事も生み出せるようになります。専門店を作るのはドン・キホーテを作った後でいいんですよ」
小説『三人』と、徳井義実、小沢一敬との共同生活で気づいた自分の未熟さ
放送作家として最も多忙だった5年ほど前は、18本のレギュラー番組を抱えていたという桝本さん。「365日働いて休みもない。充実感があった一方でしんどさもありました」と振り返る。そんな時期に本格的に取り組むようになったのが小説の執筆だった。
「方向転換するきっかけの一つになったのが、担当していた『笑っていいとも!』にゲスト出演していた百田尚樹さんが番組中に話した、『放送作家が書いている台本のほぼ全てはタレントさんが読んだ後はシュレッダーに流される。でも小説は本として残るから、僕は小説を書いてみたかった』という言葉でした。
それを裏方で聞いていた僕は、『放送作家とは違う立場で自分も何か書いていきたい』と思うようになりました。また若手の頃から親交があり、今も定期的にデートに行く仲の又吉さん(ピース・又吉直樹)に感化されたのもあります」
そして2020年に発表した小説『三人』は、一軒家を6年間シェアして暮らす「売れない芸人」「メチャクチャ売れてる芸人」「放送作家」の3人の物語。この小説は自叙伝的な要素もあり、放送作家の離婚経験などの逸話は、桝本さんの人生と重なる部分が多い。
また男3人のシェアハウス暮らしという設定は、桝本さんがNSCの同期であるチュートリアル・徳井義実さん、スピードワゴン・小沢一敬さんと一緒に一軒家を借りて住んでいた体験と重なる部分がある。
「僕は15年ほど前に結婚し、2年で結婚生活が破綻して離婚を経験しました。それで心がダメになっていた時期、小沢くんと徳井くんは寂しそうな僕に声をかけてくれて、気づいたら週4で一緒に飲んでくれていました。そんな時期に小沢くんが『週4で飲むなら一緒に暮らさない?』と言ってくれて、男3人の同棲が始まったんです」
人生とは「自分だけの偏見のコレクション」。ただし修正は可能
小説『三人』の登場人物は互いに影響を受けあっているが、桝本さんも一緒に暮らす徳井さんと小沢さんからは多くの影響を受けてきたという。
「だから僕はNSCの若い生徒さんたちに『ちょっと自分がうらやましいなと思う人たちと住んでみるといいよ』とよく言っています。そして2人と暮らすなかで気づいたのは、『自分の人生って、自分だけの偏見で集めてきたコレクションに過ぎないんだな』ということ。
人と一緒に生活をすると、自分が正しいと思っていたことが間違いだったと気づくことが多々あります。そして自分の偏見だらけの生き方も、配線を変えることでまだまだカスタムできることも分かってくるんですよね」
男3人での生活では、桝本さん自身の元奥さんに対する接し方、女性に対する接し方の過ちにも気づかされたという。
「小沢くんも徳井くんも、女性のことを必ず『女の子』って呼ぶし、言葉でも女性の扱いが丁寧なんですよね。僕は兄弟が男だけでしたし、昔の関西芸人の悪しき習慣にも憧れてしまい『女』と呼び捨てにしていました。それが2人と暮らす中で自然と矯正されたんです」
離婚してから10年経っても、自分を見つめ直し続ける日々
また桝本さんは結婚していた頃、「自分がたくさんお金を稼いで奥さんにいい生活をさせてあげること」が正しい夫のあり方だと思っていたが、その考えが奥さんとズレていたことにも徐々に気づいていったという。
「夕方19時には家族団らんの時間がある家で育った彼女はそう思っていなかったんですよね。一方で放送業界にいる僕は夜に会議もあるし、その後に飲みに行って午前様になる日もある。それに対して彼女なりにSOSを出していて、離婚を申し伝えられる前に『ねえ、夜ご飯は一緒に食べれないかな』という言葉はいただいてましたが、当時の僕には『俺はこんだけ稼いでいて、悪くない生活をできてるんだから大丈夫だろ』という気持ちがあり、そのSOSに反応できなかった。
そして後になって分かったのが、男性は何を『買ったか』にこだわるのに対して、女性は『楽しかったか・つまらなかったか』の『かったか』を大切にしているということ。そうやって男女の価値観がぜんぜん違うことが分かったのも、小沢くんとか徳井くんと一緒に暮らしてからでした」
小説『三人』の放送作家・相馬は、離婚後の10年間を『企画』と称して、自分のダメな部分とひたすら向き合っていたが、桝本さんも「離婚して12年ですが、今でも自分を見つめ直しています」と話す。
「いまだに再婚できる人間だとも思わないし、お付き合いしている女性もいません。大好きだった人にフラれるというのは一番しんどい経験ですし、僕は物書きでもあるので、『自分の何がダメだったのか』という人生の問いには一生向き合っていくつもりです」
「お前、芸人向いてないよ、辞めなよ」という言葉を発してしまった後悔
桝本さんが吉本NSCの講師になったのは離婚を経た2010年から。それも自らを見つめ直すなかで行った決断だった。
「吉本興業さんからNSCの講師の話をもらったときは、『芸人としてダメで結婚生活もダメだったヤツが何を教えられるんだろう』と思いました。でも男3人の生活が僕にとってある種の療養になり、仕事の面でも他人に向いていた意識の指先がどんどん自分に向いていったんです。そして自己検証を続けることで、伝えるべきことがより明確になり、伝え方も変化していきました」
NSCで講師を務めることは、「芸人を辞めてしまった自分」や「過去に若手芸人に対して誤った指導をしていた自分」の内省にもなっているという。
「渋谷公園通り劇場で座付き作家をしていたとき、若手芸人の教育係を任されていた僕は、乱雑な言葉や厳しい言葉をぶつけてしまったことが何度かありました。今でも後悔しているのは、ネタ見せをした芸人に『お前、芸人向いてないよ、辞めなよ』と言ってしまったことです。彼はそのとき、本当に落ち込んで帰っていきました」
ただ、その後も彼は芸人を続け、後にR-1グランプリで準優勝するほどの実力者になったという。
「僕の言葉で彼が芸人をやめていたら、彼の人生は大きく変わっていたはずです。後に平謝りしたときは『気にしてないですよ』と仰ってくださりましたが、『鋭利な言葉って人の人生変えてしまう可能性がある』と反省しました。
そして振り返ると、芸人の道を諦めたのは僕にとってもやはり悔しい体験だったので、NSCでは『僕は芸人を辞めたけどこの子達には辞めてほしくない』という思いで講師をしています」
次回はそんな桝本さんが、NSCで10年連続で人気NO.1講師となった背景に迫っていく。