アスリートにとって大きなターニングポイントとなった瞬間にスポットを当てる連載「スターたちの夜明け前」……。今回は夏の総集編として、セリーグを代表する3選手。青木宣親、鈴木誠也、岡本和真がスターとなる前夜とともに紹介していきたいと思う。※過去のGOETHEの掲載記事を再編。
ヤクルト・青木宣親|学生時代からバットは短く
2021年シーズン、20年ぶりとなる日本一に輝いたヤクルト。村上宗隆や奥川恭伸など若手の活躍も目立ったが、そんな中でチームの精神的な柱とも言える存在になっているのが青木宣親だ。首位打者3回、最多安打2回など数々のタイトルを獲得し、'12年からはメジャーリーグでも活躍。'18年に古巣ヤクルトに復帰した後も、不動のレギュラーとしてチームを牽引し続けている。
そんな青木だが、高校時代は投手でチームのエースを務めてはいたものの、決して有名な選手だったわけではない。早稲田大への進学もスポーツ推薦ではなく、指定校推薦によるものである。下級生の頃はスタメン出場の機会は少なく、2年秋のシーズンが終了した時点でのリーグ戦通算成績は13試合に出場して25打数5安打で打率.200、ホームランも打点も記録していない。
実際に青木のプレーを現場で初めて見たのは3年生になった'02年4月13日の対立教大戦だ。この試合は早稲田大の和田毅(現ソフトバンク)と立教大の多田野数人(元日本ハム)の息詰まる投手戦となり(試合を1対0で早稲田大が勝利)、両チームとも野手に関しては強い印象が残っていない。青木も2番レフトで出場し、1安打1盗塁をマークしているが、当時のノートにもそのプレーについて詳細な記載は残っていない。
それから3週間後の法政大戦でも相手エースの土肥龍太郎(元横浜)から2安打を放っているが、バットをとにかく短く持って当てるようなスタイルで、現在のバッティングとは程遠いものだったと記憶している。このシーズン、青木はリーグ4位となる打率.348をマークし外野手のベストナインにも輝いているが、正直将来プロで活躍するような選手になるとは全く思っていなかった。
青木が目立たなかった理由は本人以外のところにもある。当時の早稲田大はエースの和田だけでなく、野手にも綺羅星のごとくスター選手が揃っていたのだ。最大のスターは同学年で2年春には東京六大学史上最速タイで三冠王に輝いた鳥谷敬(元阪神・ロッテ)で、他にも沖縄尚学の4番として選抜優勝を果たした比嘉寿光(元広島)、桐蔭学園で4番として選抜高校野球にも出場した由田慎太郎(元オリックス)が同学年で早くからレギュラーをつかんでいる。
また1学年下の田中浩康(元ヤクルト・DeNA)も尽誠学園時代から評判のセカンドで、2学年下の武内晋一(元ヤクルト)も智弁和歌山で2年夏に甲子園優勝を果たしたスラッガーだった。青木たちが4年生になった時の打順は田中、青木、鳥谷、比嘉、武内、由田という並びだったが、この6人は全員がプロ入りを果たしており、長い大学野球の歴史でもこれだけ選手が揃っているチームはなかなかないだろう。そんな中で青木は3年秋には打率.436をマークして首位打者にも輝いているが、17安打中15安打がシングルヒットと長打力がなかったこともあって、数字ほど存在感があったわけではなかった。
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広島・鈴木誠也|野手としては蕾の状態だった投手時代
現在メジャーから最も高い注目を集めている日本人野手と言えば鈴木誠也(広島)になるだろう。2019年に行われたプレミア12では3試合連続ホームランを放つなどチームの優勝に大きく貢献し、MVPとベストナインを受賞。今年の東京五輪では5試合で3安打と不振だったものの、リーグ戦再開後は球団タイ記録となる6試合連続ホームランを放つなど大活躍を見せており、7・8月度の月間MVPにも輝いている。長打力と確実性を兼ね備えたバッティングに加えて俊足と強肩を生かした外野の守備も一級品で、ポスティングシステムを申請すれば多くのメジャー球団が獲得に乗り出す可能性は高い。
そんな鈴木だが、最初に評判になったのはバッティングではなくピッチングだった。初めて現場でプレーを初めて見たのは'10年10月11日に行われた秋季東京都大会の対片倉戦。鈴木は1年生ながら二松学舎大付で背番号1を背負い、5番、投手として出場している。まず目立ったのが1年生とは思えないバランスの良い均整のとれた体つきだ。当時のプロフィールは180㎝、80㎏となっているが、マウンド上で大きく見え、当時のノートにも「手足が長くいかにも投手らしい体型」と書いた。試合は7回を投げて被安打1、無失点の好投でチームのコールド勝ちに大きく貢献。テイクバックでの肘の位置が低く、スライダーでそれが顕著になるのも気になったが、その点さえ改善されれば一気に良くなりそうな雰囲気があった。しかし一方で打者としては4打数ノーヒットに終わっており、当時のノートにもバッティングについては「スイングの形は悪くないが力任せ」という記載しか残っていない。
翌年6月には2年生ながら東京都の選抜チームにも選ばれているが、アメリカ選抜チームとの親善試合では投手としての出場のみで打席には入っておらず、チームの首脳陣からは投手として評価されていたことがよく分かる。ちなみにこの試合は太ももの故障からの回復途上ということでストレートの最速は138キロだったものの、当時のノートには「前年秋よりもボールの角度があり、緩急をつかえるようになった」と記している。特にカウントをとる緩いカーブがアメリカ打線には有効で、9回の1イニングを三者凡退、1奪三振と安定した投球で試合を締め、投手として着実に成長している印象を受けた。
そして最後に高校時代の鈴木のプレーを見たのは'11年10月16日の日大二との試合だ。4番、ピッチャーとして出場した鈴木は9回を被安打6、1失点で完投。ストレートの最速は142キロをマークし、翌年のドラフト候補と呼ぶのに相応しいピッチングだった。しかしこの試合でも最終打席に犠牲フライを放ったもののノーヒットに終わっており、ノートにも「悪いクセのないスイングが光る」としか書かれていない。残念ながら3年時は春も夏も巡り合わせが悪く、プレーを見る機会がなかったため、ドラフトで広島から野手で2位指名を受けた時は本当に驚かされた。ちなみにドラフト前に鈴木はそれほど有力候補として見られていたわけではなく、広島も森雄大(楽天)、増田達至(西武)を続けて1位指名で外しており、どちらかを引き当てていれば更に順位が低くなった可能性は高いだろう。
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巨人・岡本和真|木製バットも苦にしない、圧倒的な成長スピード
2021年はセ・リーグ3連覇を逃し、チームの立て直しが急務と言われている巨人。今年も故障者が続出している影響で苦しい戦いが続いているが、そんななかで不動の4番として活躍を見せているのが岡本和真だ。4月中旬には体調不良で欠場した試合はあったものの、ここまでセ・リーグトップとなるホームランを放ち、打線を牽引している。もし岡本がいなければ、チームは更に苦しい状況に追い込まれていたことは間違いないだろう。
そんな岡本は全国屈指の強豪である智弁学園(奈良)でも入学直後から大器と評判となっており、1年秋からは早くも4番を任されている。実際に現場でプレーを見ることができたのは3年春に出場した選抜高校野球、'14年3月24日に行われた対三重高校戦だった。この試合が岡本にとっては初の甲子園でのプレーだったが、驚きの聖地デビューを飾ることになる。3番、サードで出場すると初回の第1打席でいきなりセンターバックスクリーンへの先制ソロホームランを放つと、第2打席には強烈なセンター前ヒットを放ち追加点を演出。そして6回に迎えた第3打席では内角のストレートを完璧にとらえ、この試合2本目となるホームランをレフトスタンドへ運んでみせたのだ。
結果はもちろんだが、素晴らしかったのがそのバッティングの内容だ。1本目のホームランはフルカウントからの6球目をとらえたもの。捕手が構えていた内角とは逆のやや外角寄りの甘いストレートだったが、追い込まれている場面であらゆるボールの選択肢があるなかで迷いなく振り切れるというのは只者ではない。第2打席は初球、第3打席はツーボールからといずれもファーストストライクをとらえたもので、数少ない打てるボールをとらえようという強い意識が感じられた。
当時のノートにも「タイミングをとる時に少し反動をつける動きが大きいのは気になるが、スイングの軌道は安定しており、ヘッドスピード、インパクトの強さともに高校生とは思えないレベルにある。(中略)下半身も強く、粘りがあり、決して腕力だけでなく全身を使って振れるのも長所。内角の厳しいコースもしっかりとらえ、スイングの軌道も安定している」という記録が残っている。大会前から高い注目を集めていたなかで、これだけの結果を残せるということも、若くして巨人の4番を任せられる資質がよく表れている。
しかし、ノートにも「タイミングをとる時に少し反動をつける動きが大きいのは気になるが」と記載があるように、当時の岡本はまだ弱点があったことは確かであり、次の試合ではその不安要素が露呈することとなる。対戦相手となった佐野日大のエースは大会ナンバーワン投手の呼び声も高かった田嶋大樹(現オリックス)の前に4打数1安打、2三振と抑え込まれ、チームも延長戦の末、サヨナラ負けを喫したのだ。奪われた2つの三振は内角のスライダーと速いストレートが決め球となっており、反動をつける動きの大きさがゆえに対応できていない印象を受けた。第4打席には内野安打を放ち、最後の打席では死球で出塁したものの、岡本にとっては悔しさの残った試合だったことは間違いない。
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連載「スターたちの夜明け前」とは……
どんなスーパースターでも最初からそうだったわけではない。誰にでも雌伏の時期は存在しており、一つの試合やプレーがきっかけとなって才能が花開くというのもスポーツの世界ではよくあることである。そんな選手にとって大きなターニングポイントとなった瞬間にスポットを当てる!
Norifumi Nishio
1979年愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。在学中から野球専門誌への寄稿を開始し、大学院修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。