アテネ五輪代表ではキャプテンとして活躍、Jリーグ、AFCアジアチャンピオンズリーグ、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯、と数々のタイトルを獲得した元Jリーガー那須大亮。ヴィッセル神戸時代に、YouTubeを開設。現在、チャンネル登録者数は約40万人を誇る人気チャンネルに。新境地を切り開いた、サッカー系YouTuberの先駆けといえる存在だ。※2020年9月掲載記事を再編。
サッカーをエンタメの最上位へ引き上げたい
那須大亮は、2018年6つ目のクラブとなるヴィッセル神戸へ移籍した那須は、同年7月からYouTuberとしての活動をスタートさせている。
「現役時代の僕にとって、サッカーに対する想いはずっと『自分主導』でした。巧くなりたいのは、勝ちたいという欲。上のステージ、日本代表を目指したいという野心も、自分の評価を上げたいという想いやいかにいいキャリアを築いていくのかということも、すべてが自分主導だったと思います。その結果、自分に関わる周囲の方々、応援してくれるサポーターが喜んでくだされば最高だと考えていたんです。
でも、浦和レッズにいたとき、サポーターの言葉を聞いたり、その声援のなかでプレーするうちに、『いっしょに戦う仲間』を意識するようになったんです。そして周りを見たときに、サポーターだけじゃなくて、裏方のスタッフ、スポンサーなど、チームに関わるたくさんの人たちの様々な想いを背負っていることを思い知らされました。ピッチに立つ11人は彼らの代表として、表現しなくてはいけない。それ以降は神戸へ移籍した後もずっとそういう想いで戦って来ました」
浦和でのラストシーズンの出場試合は9試合。神戸でもなかなかレギュラーポジションをつかめなかった。当時36歳。現役引退をイメージしても不思議ではなかった。
「現役引退後になにをやりたいかというのは、いろいろ考えていました。もちろん指導者もそのひとつです。選手を育てたり、チームをよくしたりということの面白さも理解していたけれど、特定の選手やチームではなく、もっと広くサッカー界全体に恩返しがしたいと思うようになったんです。スポーツ界はもちろん、いわゆるエンタテインメントのなかでもサッカーをトップの座へ持っていきたいんです。また、自分が投げかけた言葉が人生を歩む誰かの支えやきっかけになれば、嬉しいなと」
そういう想いを抱いたとき、YouTubeという媒体に出合った。しかし、サッカーとYouTubeの相性は悪いという疑念も浮かんだ。
「今とは違い、約2年前、当時はまだYouTubeという媒体が軽視されていた感覚でした。過激なことをやったり、好き勝手やっている媒体というイメージが強かった。面白くて、楽しいことかもしれないけれど、サッカー、スポーツとの相性はよくないだろうという意識がありました。ただ、YouTubeが持つ市場だったり、力には可能性があるとも感じたんです。もともと日本では、スポーツとエンタテインメントというのはまったく別モノというか、相容れないみたいな意識が根強い。でも、アメリカのスーパーボールのハーフタイムショーのように、全米随一の歌とダンスという最高級のエンタメはスポーツと共存できるし、多くの人を楽しませることができるんです」
日本とアメリカとではいわゆる「お国柄」が違うということもある。しかし、サッカー観戦もひとつの娯楽や趣味であるのだとすれば、映画や舞台、ダンス、ライブといった「エンタメ」と動員を競っているともいえるだろう。だからこそ、那須は、あえて相性が悪いと思う「YouTube」での活動によって、サッカーをエンタメの最上位へ引き上げたいと考えた。新しいニーズを生むためには、未開の土地へ踏み込んだ。
「リーグの観戦者の最も多い年齢層は40代だったと思うんです。続いて50代、30代(注・平均年齢は42.8歳。40代が26.9%、50代が20.5%、30代が16.8%。2020年1月発表)。YouTubeはどちらかといえば若年層に人気のある媒体で、僕の視聴者層の中心は20代後半から30代前半です。だからこそ、普段Jリーグには触れていない層が、サッカ―という競技を知るきっかけになればと思っています。エンタメ=ファニーなことばかりではないので。いろいろな方法でその機会を作りたい」
日本代表でワールドカップに出場したわけでもない。選手時代もスポットライトとは遠い存在だった自分だからこそ、YouTubeをやる意味があると那須は考えている。
「リーグが始まって28年。プロとしてサッカーができる環境を作ってもらえたことには本当に感謝しています。だからこそ、日本におけるサッカーの地位というのをもっともっと高めたい。今、Jリーグの各クラブが努力して、チームスポンサーを探したり、新しいビジネスモデルを模索していますが、市場を広げていくという意味では、サッカーを見る人たち、まだ見ていない人たちも含めて、サッカーに対する目線や思考を変えるくらいのことが必要だと思うんです。選手個人の価値を高めていくこともひとつの方法だと思います。選手個人にスポンサーがつくようなケースが増えていけば、結果的にクラブへ還元できます。
そういう『個人の価値』という意味で、YouTubeをやっている僕がひとつのモデルになればいいなと思いました。ひとつの形を示したいと。有名選手でもない僕がやることに意味があると感じました。サッカーだけで生きてきた人間が新しいことにチャレンジする。そういうストーリーを表現できればいいなと思っています」
選択肢のなかで難しいほうを選び続けてきた
那須は現役時代、6つのクラブに在籍している。彼は常に「レギュラーを取りに行く」という前傾姿勢を隠さない。留まることで得る安泰よりも、リスクがあっても挑戦するという風に。
「僕はずっと、日本代表というのを目指していたし、自分の価値を高めたいという想いがありました。だから、常に競争の中へ飛び込まないといけないと考えていたんです。そのため、選択肢のなかで難しいほうを選びたいとは思っていました。もちろん、試合に出られないかもしれないとか、不安もあります。難しいほうを選ぶのがいつも正解とも限らない。ただ、僕の場合は、難しいほうを選択したほうが、その後、より多くのものを得られるという実体験があったので。そういう決断をしてしまうんだと思います」
’12年1シーズンだけ在籍した柏レイソルでは、右サイドバックでレギュラーポジションを獲得していたが、那須自身はセンターバックで勝負したいという想いが強かった。そして、センターバックのレギュラー選手たちとの競争を望んだのだ。
「監督に言いました。『サイドバックではなく、センターバックでやりたい』と。もちろん、レギュラーを外される覚悟はありました。そして、外されました(笑)。一般的にみれば、レギュラーポジションを失うリスクを冒してまで、直訴するのかという声もあるかもしれないけれど、やはりセンターバックで勝負したかったし、そこでまた新たな壁にぶつかり、乗り越えるべきだと思ったんです」
常に本質を見失わなければ、批判に負けることはない!
自身を取り囲む、多くの声。賛否両論のなかには、誹謗中傷だってあったに違いないが、那須がブレなかったのは、サッカー選手としてのキャリアが影響していた。
「始めたころは、賛否の『否』ばかりでした。『なにをやってるの?』という声ばかりで。だけど、活動を続けて、コンテンツがいいものになれば、ポジティブな声も増えてくるようになりました。
ただ、考え方の問題だと思うんです。大切なのは“本質”だと思うんです。たとえば、サッカー選手としての本質は、勝利です。勝つことが目的なんです。そう考えると、ひとりの選手のミスは枝葉の一部でしかない。もちろん枝葉も大事だし、ミスだってないほうがいい。だけど、いつまでもミスを引きずってしまうと、本質を見失いかねないし、目的地へたどり着くにも遠回りしてしまう。だから、常に本質と向き合い続けるべきなんです。
僕がYouTuberとして活動しているのは、『サッカー界の発展』という部分が本質にあって、そういう僕に批判であっても意見が飛ぶというのは、僕自身に注目してくれているから。そういう風にも考えられるわけです。捉え方次第で、批判もネガティブなことではなく、自分が目的へ向かううえでのモチベーションにもなるわけです。だから、だんだん、批判が来ても、ラッキーだなと思えるようになりました。僕はYouTuberになることが目的じゃなくて、YouTubeはひとつの手段だという本質は見失わないように。まあ、現役時代にもいろいろな声を聞く機会は多かったので、耐性があるのかもしれませんね(笑)」
“痛みを拾いにいく”ことを大事にしている
那須は、YouTubeという媒体を通して、人間が持っているコアな部分を理解してもらうためのストーリーがポイントになっていくと話す。
「僕みたいな人間でも、こういう挑戦ができる。挑戦することで得られるものがある。そのために痛みにも動じず、学ぼうとする姿やチャレンジしている様子をストーリーとして発信したいと思っています。そんなコンテンツに視聴者の方が共感してくださったり、応援してくださったりすることから、サッカーへの興味に繋がっていけばいいなと。そのうえで、まず必要なのが、信頼や信用という実績なんです。それを裏付けるのが自信だと思います。今の僕はプロ1年目の選手と同じ。ここから学び続けて、努力しなければならない。そうやって少しづつ自信を重ねていくしかない。プロサッカー選手だったことに優位性は感じていません。まったくないとは言えないけれど、サッカーに関する知識であっても、プレーヤーとはまた違うことを知る必要があります。立ち位置が変われば、伝える言葉も選手時代と同じではないので」
現役時代は、サッカーにすべてを注ぐだけでよかった。勝利のために戦う選手をスタッフがサポートしてくれた。しかし、今は演者ではあるものの、プロデューサーであり、裏方を支えるスタッフのひとりでもある。
「今の自分の姿勢は、サッカーのポジションでいえばフォワードですね。リスクを恐れずチャレンジを繰り返す攻めの姿勢です。でも、コアな部分ではディフェンダーだと思っています。挑戦するうえでディフェンダーのメンタリティも大事です。リスクマネジメントもそうですし、周りを見て、周りを活かし、周りに活かされない。そういうところはディフェンダーなんです。それを持ち合わせず、自分の主観だけで動いてしまうと、周りからの信頼も信用も得られません。なにより、僕は知識がないので、教えていただかないといけないし、スタッフと協同しなくてはいけないから」
今はまだ「スタートラインに立たせてもらっただけ」と話す那須大亮 。その挑戦の軌跡、ストーリーがどんな輝きを放つのか、楽しみである。
DAISUKE NASU
1981年鹿児島県生まれ。鹿児島実業、駒澤大学を経て2002年に横浜F・マリノス入団、翌’03年に新人王。’04年アテネ五輪に主将として出場。6シーズン在籍した横浜で2度のJリーグ優勝。その後、東京V、ジュビロ磐田、柏レイソル、浦和レッズ、ヴィッセル神戸でプレー。’19年に引退。那須大亮のYouTubeチャンネル