芝居をとおして俳優たちの本当の素を見抜く
倉本先生は怖い。とにかく、すべてを見透かされているような感じがするのです。よく食事をしたり、一緒にお酒を飲むと相手のことがよくわかると言いますが、実はそんなことはなく、皆なにかしら自分を装っています。でも、お芝居をすると役を摑むことに集中するあまり、人間としての素を装うことができなくなる。先生は作家として、演出家として、芝居を通して役者の素を見抜いてるんだと思います。
ある時、先生は『玩具の神様』という作品で、僕に詐欺師の役をやらせました。電話で直接先生からオファーをいただいたんですが、「今度俺自身に起きた物語を書くんだ。そのなかに詐欺師が出てくる。貴一にやってもらいたいんだ」。僕が詐欺師ですか? と問うと、「詐欺師をやらすんだったら貴一しかいないだろう。だから頼むよ」と。僕たちの仕事は装うことですから、これは最高の褒め言葉と受け取りました。やっぱり見抜かれているな、とも(笑)。
先生の作品は、本当の人間ドラマです。いつの時代も人間の変わらない信念だったりおぞましさだったりを辛辣に描く。だから古くなりません。倉本ドラマの再放送をいつ観ても面白いと思うのは、普遍的なもの、人間を描いているからではないでしょうか。
撮影中、芝居をしながら自分の心に響いてくるというか、役者が役から教わる。先生からは演技の仕方だけでなく、人間というものを学ばせていただいています。
Kiichi Nakai
倉本作品は、1986年のテレビドラマ『ライスカレー』に初出演。その後、『失われた時の流れを』『玩具の神様』『風のガーデン』などにも。現在、主演を務める映画『大河への道』が公開中。
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