ナチュラル・ボーン・クラッシャーことK-1のカリスマ武尊。キックボクシング史上最高の天才と呼ばれる那須川天心。ふたりの格闘家が、どちらが最強かを証明すべく6月19日、東京ドームで戦う。今やファンの間だけではなく、国民的関心事にまでなっている対戦に向け、それぞれが覚悟と相手への想いを語った──。武尊の独占インタビューはこちら
那須川天心vs武尊。
6月19日に行われるふたりの格闘家の対決が、世間を賑わせている。メディアは世紀の一戦と呼ぶ。数万の観客が東京ドームを埋め尽くすことだろう。ファイトマネーは数億になるという、まことしやかな噂さえ巷には流れている。その真偽はともかく「天心と武尊のどちらが勝つか」は格闘技ファンの枠を超え、国民的関心事になろうとしている。日本の格闘技史に刻まれる、文字どおり百年に一度の戦いなのだ。
この戦いには物語がある。
その発端は7年前。大田区総合体育館で開催されたキックボクシングの大会だ。トーナメントを勝ち抜いた那須川がリング上でマイクを握り、客席に訴えたところから物語は始まる。
「国内にやりたい選手があとひとりいる。K-1の武尊選手、かかってこいや、って感じです」
武尊はK-1王者だ。その王者に、高校2年生の那須川が挑戦したのだ。ただの高校生ではない。バンタム級7位の対戦相手を1ラウンド開始後58秒でノックアウトするという衝撃的な試合でデビュー戦を飾ったのがその前年、高校1年生の夏休み前のことだった。その後も勝利を重ね、5戦目で村越優汰を倒しRISEバンタム級王座に就く。1年間の戦績は9戦9勝。8試合がKO勝利だった。人は彼を神童と呼んだ。
ただし格闘技ファンの間での話だ。7年前、格闘技ファンは今ほど多くなかった。那須川は確かに神童だった。けれど那須川の言葉を借りれば、世間はまだ彼を知らなかった。そして彼は世の中を知らなかった。
キックボクシングをメジャーにしたかった
「僕まだ高校生だったんで、契約とか団体の壁とかの話がよくわかんなかったんです。僕がやりたいって言えばやれんのかなっていう、まあ、子供の考えですよね。それで物議もかもしたんだけど。でも格闘技ってそういうもんだと思ってた。強い奴がいれば、戦いたいと思うのが当たり前だろうと。自分の団体で最強の8人の選手が出場するトーナメントで優勝して、周りを見渡したら、自分と同じ階級で目立ってたのは、K-1の武尊選手しかいなかった。これは戦うしかないだろうって」
7年前のその日を思いだしながら、那須川天心はそう話し始めた。試合後のマイクアピールで格闘家が対戦相手を名指しするのは珍しいことではない。ただし、普通は対戦可能な相手に限られる。那須川と武尊は所属団体が違う。しかも那須川のキックボクシングと武尊のK-1は、厳密には違う競技だ。不可能ではないが、簡単に実現できる対戦ではない。けれど逆にそれが、リング上で派手に武尊に対決を呼びかけた理由でもあった、と那須川は言う。
「本気でキックボクシングをメジャーにしたかったんです。熱心なファンはいてくれたけど、世の中的にいえばまだまだ少数派だったから。僕がトーナメントで勝っても、スポーツ紙の一面にはならない。普通の人は誰も知らなかったと思う」
一時は活動を休止していたK-1が「新生K-1」として復活したのが前年、2014年のことだ。インターネットテレビABEMAで世界に配信されるようになっていた。そのK-1のリングで勝ち続ける武尊が、那須川の目には光り輝いて見えた。
「忘れもしない2015年の大晦日。武尊選手はRIZINの世界大会に出場してK-1ルールで戦って、相手を2ラウンドでノックアウトした。地上波放送されてて、僕はそれを実家のお茶の間のテレビで見てるしかなくて。それが悲しくて。あの気持ちは忘れられない。俺のほうが絶対強いのに、なんで向こうだけ注目されるんだと。そういう気持ちがずっとあった」
今思えば、自分はひがんでいたと那須川は言う。頭のいい人だ。熱くなっても、頭の半分は冷静に自分を見ている。
「対戦は難しいかもしれないけど、逆に考えれば、難しいからこそやる意味があると思うんです。僕と武尊選手が団体の枠を超えて戦えば、間違いなく話題になる。格闘技をそんなに知らない人も、僕らの試合を見るかもしれない。いやきっと見るだろうと。そしたらキックボクシングだけじゃなくて格闘技全体が盛り上がる。僕の子供の頃からの夢なんです。『俺が格闘技界を変える』って中学生の頃から言ってました。先生や友達とかに。みんなは『いや何言ってんのお前』って感じだったけど(笑)。僕は自信満々。自分なら何でもできると思ってたから。いや、今もそう思ってるけど。試合を実現させるためなら何でもやった。武尊選手が試合をしてるリングサイドにまで行って『俺とやろうよ』って呼びかけたり。冷静に考えれば、アホだと思います。だけど、多分なんかそういうアホなことでもしていかないと、歴史は変えられないじゃないですか」
那須川は重要なことを言わなかった。武尊との対戦を実現するために、彼はできる限りのことをした。彼の言う「アホなこと」もそうだけれど、最も重要なのは、彼がその後も強敵相手に勝ち続けたことだ。次の対戦相手を決める時、彼は相手を選ばない。いつもシンプルに、候補者のなかで最強の選手を指名する。「強い相手を倒すのが格闘家だから」と彼は言う。簡単なことではなかったはずだ。彼はそういう戦いを、16歳でプロのリングに上がってから23歳になる現在まで7年続け、バンタム級とフェザー級の2階級で世界王者となる。戦績は46戦46勝(キック41勝、MMA4勝、MIX1勝)。しかもそのうち32試合がKOでの勝利だった。那須川が試合に勝つたびに、格闘技ファンは増えた。勝ち続けることで、世間の注目を集め、最強を証明し続けたのだ。けれど、どれだけ勝っても完全に証明したことにはならない。彼が戦わなければならない相手を倒すまでは。
武尊だ。武尊もまた、あの日からただ一度も負けることなく最強であることを証明し続けていた。この世にふたりの最強は存在しない。ならば戦うしかないではないか。
格闘技には限界がないから人生をかける価値がある
小学4年生の那須川が、極真空手全日本決勝戦で戦う映像が残っている。体重30㎏の小柄な天心少年が立ち向かうのは、大人のような体格の少年だ。少年の名は南原健太。体重60㎏。体重差は倍だ。頭の天辺が南原少年の顎に届いていない。そんなふたりが戦っているのは、小学4年生までは体重ではなく年齢でクラス分けされるからだ。
見上げるような相手の攻撃を前後の素早いステップとフットワークでかわしながら、天心少年は突きや蹴りを入れる。感心して見ていると次の瞬間、天心少年の全身が鮮やかな縦回転をして高く上がった左踵が南原少年の顎を打った。見事な胴回し回転蹴りだ。身体の大きな南原少年を倒すために考え抜いた攻撃なのだろう。少年の使う技ではない。どれだけの時間を習得に費やしたことか。試合中、彼は3度その大技を放った。
南原少年が人生最初のライバルだったんですねと言うと、那須川は嬉しそうな顔をした。
「そう、そうなんです。身体が僕の倍くらいあって。絶対倒そうと思ってた。だけど力では勝てない。だからスピードやステップを磨いたり、突拍子もない技を練習したり。胴回し回転蹴りもそのひとつ。大人がやるのを見て練習したんだけど、試合中に決めるのはすごく難しいから、大人でもあまりやってなかった。今は結構やる人いますよね。自慢ではないんですけど、あの技を流行らせたのは、キッズの僕だったんじゃないかって、密かに思ってるんです(笑)」
那須川が空手を習い始めたのは5歳の時だ。小学校に上がる頃には、道場に通うだけでなく、父親の特訓を毎日受けて、毎週試合に出場するようになっていた。地元千葉の県大会では常勝だったが、関東大会で難攻不落の壁に突き当たる。それが南原だった。何度戦っても勝てなかった。那須川の父親に格闘技経験はない。体格差のある敵とどう戦うか。父子で試行錯誤しながら戦い方を工夫し、技を磨き、練習法を考えた。現在の那須川のスタイルの源流はそこにある。彼は小学生の頃から既にひとりの格闘家だったのだ。だから神童とか天才とか称賛されても喜ばない。謙遜ではなく、単に事実と違っているからだ。
「5歳の頃から毎日トレーニングしてきたんです。18年間。格闘技だけをしてきた。才能なんかじゃない。だから僕には高校時代の友達がひとりもいない。ゲーセンに行ったことも、チャリ2ケツしたこともない。僕には青春がなかった。でも後悔したことは一度もない。人と同じことしてたら、人と同じにしかなれないじゃないですか。人と同じは面白くない。そもそも人と比べられるのが嫌なんです。僕は誰とも比べられないくらいの存在になりたい。そうなるために僕は格闘技をしてるんだと思う。格闘技って不思議で、答えがないんですよ。どんなに強くなっても、マックスはここですって答えがない。どこまで行っても限界がない。それはすごく大変なんだけど、だからこそ人生をかける価値がある」
その限界のない世界に挑むため、那須川は昨年4月、ボクシングへの転向を明らかにした。
「正直に言うと、武尊選手と戦うのはもうないだろうなと思っていたんです。何やっても対戦が実現しないなら、自分は新しいことにチャレンジすべきだと」
だが、ボクシングへの転向を決断し、キックボクシング界からの引退を決めた矢先、武尊との対戦が実現することになった。
「これは運命だと思う。今まで僕が成し遂げてきたこと、これから自分がやろうとしていること、そのすべてがこの試合にかかっている。だから絶対に負けない。僕は武尊選手を倒す、自分の全存在をかけて」
終始朗らかに話していた那須川の表情が、鋭く引き締まっていた。格闘技に100%はないと那須川は言う。だから面白いのだと。言葉の裏に、それでも勝ち続けた彼の強烈な自信が窺えた。神童ははたして、無敗の伝説を残したまま、新たな天地へ飛び立てるだろうか。
【関連記事】
【K-1 矢吹 満×藤田 晋】那須川天心VS武尊、世紀の一戦の仕掛け人対談。スポーツメディアの未来とは<前編>
【角田信朗】極限の筋肉美を追求した“還暦の品格“。食事は何を?
THE MATCH 2022
日時/2022年6月19日(日)
12:00会場・14:00開始予定
会場/東京ドーム
チケット料金/VVIP1列席¥3,000,000、VVIP2列席¥2,000,000、VVIP3列席¥1,000,000、VIP席¥300,000、SRS席¥100,000、RS席¥50,000、SS席¥30,000、S席¥25,000、A席¥15,000