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2021.12.25

【オカダ・カズチカ】ハイブリッドプロレスラーの正体に迫る<後編>

団体が乱立する日本のプロレス界で、圧倒的な強さと存在感を放つ新日本プロレスのオカダ・カズチカ。昭和プロレスに引導を渡し、ニューヨーカーをも熱狂させるストロングスタイルにエンタテインメント性をクロスしたハイブリッド・プロレスラーの正体とは? その野望とは? <前編>はこちら

タイトルマッチの日はスーツとフェラーリ

神戸での半年のトレーニングの後、オカダはメキシコに渡り、闘龍門MEXICOの寮に入る。

遊びたい盛りの10代に家族と離れ、友達にも別れを告げ、治安がいいともいえず、食事内容にも恵まれているとはいえない中米の街で自分を鍛え上げた。遊びたいはずの年齢で遊べない環境に身を置いたことで、心と身体を磨いた。

「メキシコではプロレス漬けでした。朝起きたらトレーニング。昼食後もトレーニング。夜もトレーニング。試合のある日は、試合に出る。出場しなくても観戦する。見ることも勉強だからです。寮、道場、その横に試合会場があったので、屋根の上から試合を覗いていました」

お金はない。娯楽もない。プロレスしかなかった。

「遊びたい欲求もありませんでした。遊ぶということを知らなかったからです。同期も先輩も僕と同じ環境で、プロレスしかやっていません。うらやましいと思う対象もいませんでした」

オカダの代名詞となっている必殺技、レインメーカー。相手の腕をロックして、逃げられないように、ショートレンジのラリアットを喉もとに向けて炸裂させる。

ただ、時々日本の友達に連絡をとった。

「国際電話は高額なので、バスでメキシコシティの中心部まで行って、ネットカフェのパソコンでメールしました。同級生たちは高校で部活に励んだり、彼女ができたり。友達がデートしている様子を思い浮かべると、ちょっと切なくなりましたね」

それでも、心底うらやましいとは思わなかった。

「子供のころから、みんなと同じ人生を送るのは嫌でした。人と違う自分でいたかった」

メキシコでは“人生の師”に出会っている。闘龍門の校長、ウルティモ・ドラゴンだ。

「動ける馬場さんになれ」

ジャイアント馬場は、晩年は動きが遅かったが、そこにスピードをプラスしたスタイルをオカダに求めたのだ。身体が大きくてスピードもあれば、相手にとっては脅威となる。校長のこの言葉は、現在のオカダのスタイルにつながっている。

「プロレスラーはカッコよくあれ」

とも言われた。リング上ではもちろん、ふだんから服装を整えて行動しろというのだ。

「僕はタイトルマッチの日はスーツで、クルマは真っ赤なフェラーリを運転して会場入りします。それは校長の教えが大きいですね。師匠の言葉は、プロレスラーとしても、人としても、僕が生きていくための核になっています。人生の師を持つと、迷いが少なくなります」

リングの上の闘いでメッセージを伝える

2007年に19歳で帰国したオカダは新日本に移籍。新弟子として基礎トレーニングからやり直す。寮に住み、トイレや風呂の掃除、電話番、ちゃんこ番もやった。しかし、心に期する強い思いはあった。

「オレの力で新日本を復活させたい!」

心のなかは燃えていた。

当時の新日本は低迷期だった。1990年代から2000年代前半にかけて、総合格闘技の台頭によって、試合会場の客席は空席が目立っていたのだ。

「強い相手に立ち向かう自分でいたい」

それが、子供のころからオカダが胸に秘める男のロマンだったのだ。しかし、強く、スター性も伴うプロレスラーになるには、何かが足りなかった。

その何かをオカダはアメリカ武者修行で手に入れる。

「オカダ、お前は試合で何を伝えたいんだ?」

アメリカ転戦中に現地のスタッフに聞かれた。

「えっ、何か伝えなくちゃダメなの?」

逆に聞き返した。

「当たり前だ。お前、伝えたいこと、ないのか?」

相手はあきれた顔でオカダを見た。そのスタッフの意見はもっともだった。プロのレスラーである限り、メッセージを伝えることが必要だと気づかされた。そして試行錯誤を重ね、闘ってプロレスをより繫栄させてリングにカネの雨を降らせるキャラクター“レインメーカー”を生みだした。

’11年末に帰国。自らをレインメーカーと名乗ったオカダは、ファイティングスタイルも、容姿も、マインドも、別人のように変貌を遂げていた。

そして翌年、棚橋を破りIWGPヘビー級王者に。そこから10年を経た今も、オカダの快進撃は止まらない。IWGPヘビー級王座は5度載冠、連続防衛記録V12を達成。G1 CLIMAXは3度制している。

’15年には天龍に引退試合の相手に指名される。殴る蹴るの壮絶な試合の末リングに沈めた。栄華を誇った昭和プロレスを過去へと葬った。

さらに、’19年にはニューヨークの格闘技の殿堂マディソン・スクエア・ガーデンでメインを張り、客席をフルハウスにした。

「この10年、新日本は僕が牽引してきました。ここからの10年も僕が牽引していくつもりです。でも、それでいいの? 活きのいい若手は台頭してこないの? そんな思いもちらりと頭をよぎります。でも、強い若手が出てきても、もっと強い僕が叩きのめすだけですけどね」

’22年1月4日、G1覇者のオカダは現IWGP世界ヘビー級のベルトを保持する鷹木信悟と闘う。その試合に勝ち、翌日の1月5日にウィル・オスプレイの挑戦を受ける。このふたりにすっきりと勝ち、オカダ・カズチカは本物の王者であることを改めて証明する。

 

「リング」に立つための基本作法

・自分で自分の限界を決めない

・やると決めたら退路を断つ

・常に強い相手に挑む

・自分だけの人生を追い求める

・闘いにメッセージを込める

 

『「リング」に立つための基本作法』

『「リング」に立つための基本作法』
オカダ・カズチカ
¥1,600 幻冬舎
なぜ強いのか、なぜ特別な存在であり得るのか……。オカダがトップに昇りつめるにあたって、強く意識したこと、自分に課していることを、心と身体、両面から率直に語る。老若男女、誰もが自らの「リング」に立つためのヒントになる、オカダ流人生の極意の数々。アントニオ猪木や天龍源一郎との遭遇、闘い、教えられたことの記述も興味深い。
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Kazuchika Okada
1987年愛知県安城市生まれ。15歳の時にウルティモ・ドラゴンが校長を務める闘龍門に入門。16歳の時にメキシコでデビュー戦を行う。2007年、新日本プロレスに入団。’12年からレインメーカーを名乗り、凱旋帰国後、棚橋弘至を破りIWGPヘビー級王座を初戴冠。また、同年、G1 CLIMAXに初参戦し、史上最年少の若さで優勝を飾る。’16年、第65代IWGPヘビー級王座に輝くと、その後、史上最多の12回の連続防衛記録を樹立した。’21年、G1 CLIMAX 31で優勝し、3度目の制覇を成し遂げる。身長191センチ、体重107キロ。

TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=玉川 竜、新日本プロレス

STYLING=給田久美子

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